エインドゥ町から東の山並みの中腹にパゴダがあるのが見える。このパゴダへの参道はちょっとわかりにくかった。AH1号線には山門などの目印がないのである。
それでも「もうこの道以外ないだろう」という道を見つけて入ってみた。
赤土の道が、お目当ての山のほうへと続いている。どうやらこの道で合っているようだ。
寺に到着。
山門には仏像か何かを納めるための小屋が付属しているが、空っぽのままだ。
建物も古びていて、全体的にかなり質素な印象の寺である。
境内にはお墓らしきものがあった。お坊さんのお墓だろうか。
日本では寺の境内に墓があるのが一般的だが、ミャンマーでは寺と墓地は別の施設である。お葬式にお坊さんが関わることや、故人の命日に寺で法事をするところは共通するのだが、墓参りという習慣はなく、死者を埋葬したらそれ以後は墓へ行くことはない。
なので、このように寺の境内にお墓があるのはめずらしいことなのだ。
山門のあたりで写真を撮っていたら、地元のおにいちゃんが話しかけてきた。山の上のパゴダへ行くつもりだというと「オレが案内してやるから、ついて来な」といって、先に歩き出してしまった。
ん? 勝手にガイドして、ガイド料をせびるパターンか?
場所によってはかなりの高確率でガイド料をせびられる結末になるのだろうが、ミャンマーの田舎はまだそこまではスレてはいない。半信半疑でついて行くことにした。
まず、講堂、兼、僧房へ連れて行かれる。
講堂の中は真っ暗なのだが、おにいちゃんはどんどん入っていく。
奥の暗がりにお坊さんがいた。
「この人がこの寺の住職だよ」
「いらっしゃい」
どうやらお坊さんとは顔見知りのようだ。このおにいちゃん、信じて大丈夫みたいだな。
いよいよ山腹のパゴダへ向かう。
寺の入口から裸足になるようにうながさせたため、小石だらけの地面はついて行くのが大変だ。
講堂の裏に石段があり、少しは歩きやすくなったので助かった。
でも、このおにいちゃんがいなければ、ここはまだサンダル履きで登ると思う。
少し高度があがると周りの景色が見えてくる。
「スーチーさんのお父さんがこのあたりを通ったよ、日本人もたくさん来た」
と教えてくれた。第二次大戦中、アウンサンスーチーの父、すなわちアウンサン将軍が日本軍を引き連れてヤンゴンへと進軍した戦いのことを言っているのだ。
パアン周辺では、アウンサン将軍がここを通ったとか、このあたりで野営したとか、そういう話をときどき耳にする。
山頂パゴダへ到着。
山頂もコンクリやタイルなどはなく、普通の地面なのでトゲのある草があったりして歩きにくい。
パゴダは手前に仏殿が接続しているタイプ。
ふもとから見えた印象よりもこじんまりとした仏塔だった。
山頂には小さな僧堂もある。
仏塔と対になるタコンタイ(石柱)もちゃんとある。
山頂から北のほうを見ると、まだ行ったことのない山にもパゴダが見えた。
後日、この山のすそ野あたりで日本軍が野営したという話を別のミャンマー人からも聞いた。
師団という単位であれば、少なくとも1万人からの兵士がいるわけだから、このあたり一面にキャンプしたのだろう。
(2014年07月13日訪問)