倉敷川沿いの町並み

河岸問屋が並ぶ運河の美しい景観。

(岡山県倉敷市中央1丁目)

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倉敷の美観地区の山ぎわを南の外れまで歩いて、帰りは倉敷川沿いに戻ってきた。

倉敷の町並みとしてキービジュアルとなるのは、この河岸と建ち並ぶ蔵屋敷だ。

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倉敷川は児島湾に流れ込む川だが、美観地区は河口からは20kmほど上流にあたる。

この河岸のあるあたりは川というよりは、細長い船だまりというのが適切な言い方だ。なぜならこの運河は行き止まりになっていて、上流に水源があるわけではないからだ。

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倉敷川ははじめから行き止まりの川だったわけではない。もともとは高梁川の分流だったのだ。

現在、高梁川は倉敷市の北部から西流して水島灘に流れ込んでいるが、かつては流路が2分していて東に流れて児島湾へ入る水系が存在していた。

倉敷川はその高梁川東水系の流路のひとつだった。高梁川の流路が土木工事によって西側に統一されたのは明治の中ごろだ。

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この高梁川改良工事によって、倉敷川は上流を失ってしまうわけだが、舟運を行うためには通年で川の水量を確保しなければならない。

そのため高梁川の上流に堰を築き、そこから取水して倉敷川側の水量を維持するようになったのだろう。

倉敷川に限らず、舟運のある河川の多くは人為的に水量を確保しているのだ。倉敷市でいえば以前に紹介した高瀬通しも舟運のために整備された用水だった。

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下の写真は、旧倉敷街役場の前。洋館は現在は「倉敷館」という観光案内所になっている。

この洋館の前の運河が曲がっているポイントが、倉敷の町並み観光で最も観光客の密度が高い場所だろう。

このあたりは完全に船だまりで、川の流れはまったくない。

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そこから少し上流へ歩くと、古典様式のゴージャスな建物が見えてくる。

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大原美術館の本館の建物だ。

こうした古典様式(新古典主義)は、日本では明治末から戦前まで盛んに作られた。

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小原美術館の向かいにある、大原家の別邸、有隣荘。

大原家は、倉敷紡績(現クラボウ)を創業した大財閥だ。

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有隣荘の裏手の路地のほうへ入ってみる。

この一角は、狭い路地の両側に蔵が建ち並んでいて、土産物屋などが少ないため、美観地区のなかでもひときわ見ごたえがある場所である。

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そこから運河を離れ山ぎわのほうへ進むと、中国銀行倉敷本町支店の建物がある。

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この建物も新古典様式で大正11年の竣工。

現在でも日本各地に残っている新古典主義の銀行の多くは大正時代に作られたものが多い。

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アーチ窓にきれいなステンドガラスは嵌まっていた。

かつての倉敷市の繁栄をいまに伝える建築だ。

(2003年04月27日訪問)