岡山市の
私は「同じ場所に二度行ったら負け」と思っているので、ちょっと口惜しくもある。この地区は金山寺と一緒にクリアしておくべき場所だったのだ。金山寺の参道付近で水車小屋の聞き込みをしたくらいだから当時から水車はターゲットだったはずなのに。根気不足だったな。
町内に着くと畑仕事をしているおばあちゃんがいたので水車の場所を訊ねてみた。
「もうずいぶん昔にあったけど、今はもうないねぇ」
「水車はたくさんあったの?」
「いやぁ、一個か二個あったぐらいじゃねぇかなぁ」
来るのが遅かった・・・。でもせっかく来たのだから水車の跡だけでも探してみるか・・・
・・・と思って少し走ると、
あれ? 水車あるじゃん!
しかもさっきおばあちゃんに質問した場所から、200mしか離れてないんだけど!
ここからおばあちゃんの畑が見えてるんだけど!!
おばあちゃんにも決して悪気があったわけではないのだ。ただおばあちゃんの口ぶりからは、「このあたりはもう都会で垢抜けた土地になったので、水車なんていう田舎の貧乏臭いモノはあるはずない」という困惑のような気持ちが感じられた。
だからここを通っても、おばあちゃんには水車が見えないのだろう。
この「見える、見えない」という感覚はとても重要だ。人は、眼をあけていればモノが見えると思いがちだ。しかしそれは間違いだ。目に入るものを意識できなければ、それは何も見ていないのと同じなのである。だからおばあちゃんには水車が見えない。
私が「同じ場所に2度行ったら負け」と言うのは、一度の訪問で見るべきものを漏らさず見る注意力と知識を持たなければならない、そのための勉強を怠ってはいけないという自分への戒めなのである。
2つ目の水車を発見。
防水の塗料と思われるものが塗られていて、まだ新しい感じがする。
造りも1つ目の水車と共通点が多く、同じ作者によるのだろう。
水を汲み上げる水筒が、水受板に直接ビス止めされているというシンプルな工夫がされている。
水受箱はまだ取り付けられていなかった。用水の水位が低いため、まだ水車は回転することができない。
水車を取り付けるフレームは、見つけた限りで20箇所あり、そのうち二箇所に実際に水輪が取り付けられていた。
少なくとも20基もあった水車が、あのおばあちゃんには「1個か2個あったくらい」という認識にしかならないのだ。このように、誰にも気付かれないうちに、水車だけでなく色々なものが消えてゆくのだろう。
この用水の取水口のほうへ少し歩いてみた。
途中にあった分水のための水門。
手前側から奥側へと水が流れている。
水門の近くに水面まで下りられる階段があり、農家が噴霧器と思われるものを洗っていた。除草剤か殺虫剤の散布に使う道具だ。これはちょっとどうかと思う。
でもこういう深い場所に階段があるというのはすごいな。
さらに上流へ歩いていく。
用水に庭が迫り出した風情のある農家。
西川用水の取水部分の水門。この土手の左側は旭川で、大きなコンクリート造の堰がありそこから取水している。
あとで航空写真を見て気付いたが、このすぐ右側に江戸時代の石積みの堰の跡も残っており、そこも見ておくべきだった。
つまり今回も私の意識力が足らなかったのである。
(2003年04月27日訪問)