西の寺町といわれる地区から、徐々にデパートなどがある商業地区へと移動する。
福守神社はその商業地区の西のはずれにある。
正門には鳥居のほかに神門の薬医門がある。
神門の両側には紀元2600年を記念した灯籠がある。
これとほぼ同じものを、豊橋市の二川八幡神社で見たことがある。
この形の灯籠は全国的な流行だったのだろう。
薬医門の高さは7~8mはあろうか、とても大きな薬医門だ。
境内に入ってみる。
山門を入ってすぐ左側に水盤舎がある水盤舎。
さらに左のほうにある神厩。
中には白い神馬いる。
目が金色でちょっと不気味。
正面には拝殿。
本殿は中山造り。
隅木入り春日造りと似ているが、隅木入り春日造りは入母屋妻入りの正面に縋破風向拝が付いたものであるのに対して、中山造りは入母屋妻入りで唐破風向拝のついた形式である。
中山造りは津山地方に多いといわれる。だがご当地には春日造りも多く見られることから、中山造りとは春日造りの変種ではないかという気もする。
本殿の右側に社務所がある。
その横に薬医門の通用門。
本殿の裏手には末社群。
境内の北西の角にはひときわ大きな末社の住吉神社がある。
住吉神社の横の赤い神明造の末社は大国主神社。
神庫。
末社のお花の宮。
津山を森家が治めた時代に、家老の娘にお花という者がいた。器量がよく殿様の寵愛を受けて子どもをもうけた。だがあやまってその子を死なせてしまい、責任を問われ惨殺された。その恨みで森家には不吉なことが続いたので、この神社を建てて祀ったという。
境内の北側にも神門があり、この門は旧出雲街道に面している。
門を出てみるとそこは古びたアーケード街だった。
小規模なアーケード街は、関西、中国、四国地方に比較的多く残っているような印象がある。
こうしたアーケード街は、消えることこそあれ、新たに作られることはもうないだろう。
せっかくなので神社と合わせて写真を撮っておこう。
アーケードはさらに東のほうへ続いていた。
アーケードは現在は撤去されて、屋根のない商店街になっているようだ。
(2003年04月29日訪問)