薬師院の石段は踊り場なしの鉄砲階段だったが、照蓮寺の石段はクランク状で、2ヶ所の踊り場がある。
そのひとつ目の踊り場に土蔵があった。このように背が高くて平面が正方形の土蔵は経蔵である場合が多い。しかも輪蔵の可能性が高いのだ。
内部をのぞいて見ると想像通り輪蔵(回り経蔵)であった。
輪蔵とは経典を収めた書架が回転するというもの。中国に起源を持つ。回転させることで通風するという説もあるが、それよりも回転させることで経典を読んだと同じ功徳を得るというのが本来の機能のように思う。それはつまり、摩尼車が巨大になったものと解釈すればよかろう。
この輪蔵は六角形で、屋根部分を見ると前側にしかついていない。おそらく輪蔵が荒廃した時期があって、雨漏りによって内部が朽ち果てたのだろう。その際、経典はどこかに運び出され、覆屋が修復されたあとも輪蔵そのものは修理されずそのまま今日のような状態になったのではないか。
不気味な神像が置かれていた。
これらもおそらく寺院が荒廃したときに管理しきれなくなった仏像、神像類と思われる
輪蔵の片隅には金剛力士像が置かれていた。
今はなくなっているが、かっては八脚門か楼門があったのだ。
輪蔵の前で石段は90度曲がり、さらに標高を上げていく。その途中には鐘堂がある。
珍しい場所にある鐘堂だと思う。
鐘堂を過ぎるとまた90度曲がって境内へといたる。
山門は棟門。写真は撮り忘れた・・・いよいよ疲れてきている証拠だ。
境内に入って山門の正面が庫裏。
庫裏の左側に客殿。
その左側に本堂。
境内の中央には宝篋印塔がある。
伽藍配置などが薬師院と似ているので、記憶が混同しそう。
本堂のさらに左側には十王堂がある。
十王堂の内部。
鮮やかに塗られた乾漆仏。
右がわのブースに人頭杖と思われるものの残骸が見える。一般的に閻魔大王は
庫裏の南側には通用門の薬医門があり、その外には鎮守社がある。
鎮守社の全景。
拝殿が庫裏より一段低いレベルにあり、本殿は庫裏と同じレベルにあるという不思議な造り。
拝殿の内部は絵馬殿になっている。
さい銭箱は床に組み込み式。
拝殿から本殿へはこのようにつながっている。
内部には階段があるものと思われる。
本殿にも大きな絵馬がかかっていた。
背後には写真を撮りわすれた山門が見えている。
(2003年05月03日訪問)