パアン空港の東側の一帯は氾濫原のような平坦な土地で軍制の時代から計画的に開発されてきた土地なのだろう。道路は南北に整然と整備されている。
そうした整然とした道路の中に「この道は都市計画以前からあったな」と思わせる古い道がある。日本ではそうした古道は家並が古いなどで実感できるが、ミャンマーでは農村部の家々は竹や木の葉で造られていることから50年、100年という歴史をもった家屋はない。ただ村と村を結ぶ道の地勢的な要件から古い道だと判断できるだけだ。
いま私は空港南の沼地のところから東へ伸びる古道を走っている。目立つ道路ではないが、やはり古い道は村々を巡るのには便利なので、これまでも何度も通っている。ノゥトゥディ山脈の東麓を巻いたときもそうだし、最近ではミザン村方面からの帰りにも通行した。
この地域は道路の整備が遅れてるので、去年のミザン村の帰りに通行したときは特にひどい目にあった。当時の記事には書かなかったが、あのあと、ウワサで聞いていた鍾乳洞を探してウィブラー山の東麓を通ったのだが、穴と石だらけの道でオートバイが腹を擦ってリアブレーキのペダルが壊れてしまった。スピードも出せず次第に真っ暗になっていく街路灯もない夜の悪路を、ペダルを擦りながら走破して帰ったのだった。
きょうはその時の復讐戦。あの夜に通ったルートをナゥンタニェ僧院まで逆向きに走るのだ。
このルートで重要な分岐点となるのが、コティ村近くの三差路だ。
ここから右の道を行くと、ノゥトゥディ山脈の東、ラッサン村、トトンカラ村を経由して南のエインドゥ町方面まで行ける。
初めて通ったときよりも改善しているが、いまだ全線が未舗装で、雨季には思いやられそうな道だ。
そもそも1年前はこの三差路まで来るのさえ一苦労だったのだ。それが平坦な道をすいーっと来れるようになった。まるで別の場所にいるみたいだ。発展中の国ってすごい。戦後の東京オリンピックをやったころの日本もこんな感じだったのだろうか。
この三差路に標柱が建った。たぶん以前はなかったと思う。
まだ工事跡も新しい感じ。
日本でも三差路には民俗神が配置されることが多いが、ミャンマーでも同様の習俗がみられる。
ここには休憩所と石柱が建てられている。石柱は、お寺でパゴダとセットで建てられているタコンタイと意匠的には酷似しているが、私は三差路の石柱を仏教とは別のものと区別している。
ほかに、水飲み場もある。
もちろん日本人はどんなにのどが渇いても飲まないほうがいいだろう。
この三差路を右に進むとコティ村方面となる。
簡易舗装はすぐに終わって未舗装道路となったが、前回通ったときの悪路の印象とはだいぶ違っている。
この村を走っていて、気になったものがある。
それは民家の軒にかかっている、
これまでもカレン州の田舎でときどき目にしていたが、あまりよい写真が撮れず紹介してこなかった。これは雨具が干してあるというのではなく、おそらくまじないではないかと思われる。
この家はこの蓑だけでなく、手すりや破風にも彩色がされている。伝統的なものかは未確認だが。
別のレンガ造りの家。
この家の玄関には目籠がかけられていた。
目籠は日本でも(主に関東?)で魔よけとして軒に掲げられることがある。
六角形に編まれた目を妖怪が恐れるからだとされている。ミャンマーではどういう言われがあるのだろうか。
(2017年01月07日訪問)