続いて、ミャインカレイ山脈へ移動。下写真は以前に山脈を写したもの。セメント工場の採石で山のかなりの部分が削られているのがわかる。(ちなみに金色に見えるパゴダはガンダーヨゥン僧院)
この山脈にも谷があり道が通っている箇所がある。矢印の部分だ。この谷にはセッダ山パゴダへ行くときに渡った谷と同じ川が流れている。一種の先行河川ではないかと思われる。「先行河川」とは、もともと川が流れていた場所が隆起して山ができるとき、隆起のスピードより川の浸食のスピードのほうが速いと、川が山を切り通すように流れることをいう。
パアン周辺にはたくさんの石灰岩の山脈があるが、山がちな地形ではなく基本的には沖積平野だ。石灰岩の山は、湿地帯があるような平地から急に立ち上がっているのである。その石灰岩脈はのこぎり屋根のように板状に押し上げられたような形の山が目立つ。きょう見てきたヤティピェン山脈やこのミャインカレイ山脈もそのような板状の地盤が折れて地面から突き出たものではないかと思われる。
さて、下写真がミャインカレイ山脈の裏側である。こちらから見ると採石によって削り取られている様子はほとんどわからない。
山頂のあたりに、すごく不自然な道路がある。裏側の鉱山の車両が通行する道路だろう。
ミャインカレイ山脈の谷間にも、やはり小さなパゴダがある。
パゴダの入口には赤い看板が見えるが、これはパゴダの看板ではなくこの場所が村境で、村の名前が書いてある。「ナッコン
ここもミャインカレイ山脈の分断点なので、この谷から北側を「北ミャインカレイ山脈」、南側を「南ミャインカレイ山脈」と呼ぼう。
パゴダがあるのは北ミャインカレイ山脈の南端である。
パゴダは2基あるが、パゴダへの登山路はなさそう。
お寺でもあるかと思って、細い道を入ってみた。
すると道の奥から水牛の群れが!
道の先には牛舎っぽいものがあるだけで、お寺は見当たらなかった。
(でも改めて衛星写真を見てみると、道はまだ奥に続いていて少し離れたところにもパゴダがあることに気付いた。いつかまたこの方面へ行くことがあれば、探索し直したい。)
南ミャインカレイ山脈。つまり採石されている山。
そのあと、南ミャインカレイ山脈の裏を通って、AH1号線方面へと戻る。
正面に見えるのはパアンのシンボル、ズェガビン山だ。
とはいえ、まだまだ未舗装の道を延々と走らなければならない。
途中の村。タージィゴン村か。
牧畜が盛んな村みたいだ。
巨大なワラグロがある。左の建物が主屋、右奥に見える軒の低い小屋が牧舎ではないかと思う。
こちらの割と立派な家(衛星テレビのアンテナがある)にも、たくさんの藁。
金のある人が手がけるということは牧畜はそこそこいい商売なのか。
これは稲の籾を備蓄する蔵。
ひとつ屋根の下に人とウシが一緒に暮らしている。
かつては日本でも普通の光景だった。
AH1号線まではあと少しだ。
きょうは帰国の前日ということもあり、あまり無理せず明るいうちに宿に戻るつもり。
このあとは市内の茶店でかき氷でも食べてのんびりしようか。
(2017年01月08日訪問)