
ミャンマー暦の新年の最後の日曜日。バプテスト教会の日曜学校がチョントゥ滝へ遠足に行くのに連れて行ってもらえることになった。
チョントゥ滝は、カレンダーの写真にもよく使われる風光明媚な場所で、カレン州で最も有名な滝である。パアンの若者がよくfacebookで滝の写真を載せているから私のタイムラインでもおなじみの場所だ。
日曜学校の子たちは3台のトラックに分乗。私は神父さんを乗せた乗用車に同乗して行くことになった。


今回、なぜOKになったのかはわからない。外国人に解禁されたのかもしれない。滝がどこにあるのか私は知らないまま車に乗せられてかれこれ1時間半走っていた。
ここまでサルウィン川の東岸の河港町をいくつも通り過ぎた。道路標識にミャインジーグーまで 30.6 km とある。だいぶ北まで来たな。

途中、カッパリ村というところで車を止め、道端の露天商でカボチャやスイカを購入。
ん? このへんカボチャの産地なのか?
カッパリ村は、第二次大戦中、アウンサン将軍がタイからヤンゴンに攻め込んだときの、サルウィン川の東岸での最後のキャンプ地だとされるところ。

その村で、タバコ畑を見かけた。
タバコの種類は見ただけではわからないが、だいぶ育っているのに葉が黄変していないので、日本で知られているような一般的な品種ではなさそう。背も低い。

ミャンマーの畑全般に言えることだが、日本の勤勉な農家の畑に比べると、ずいぶんと大ざっぱな感じである。
成長が揃っていないし、収穫前に花が付いてしまっている。花に栄養が取られるので、日本では通常は花を付けないのがよいとされている。

畑の中で牛が放牧されていた。
おそらくタバコの葉は食べないのだろうが。

あ、あの山知ってる!
GoogleMaps(GoogleEearth)でカレン州を眺めると、きわだって目立つ山の一つなのだ。
ミャインジーグー町の景観のシンボルとも言える山だ。名前は訊いたがわからなかった。パアンからだいぶ遠くまで来ているからだろう。ふもとの村の名前をとってカマゥレチャング山としておこう。

ミャインジーグーの町を通過。
滝はまだ遠いらしい。

ここまでサルウィン川に沿ってひたすら北上していた道が、東方向へ変わった。
カマゥレチャング山の北側を抜けて、タイ国境方面へ向かうようだ。

このあたりの道路の状況は比較的よい。ここまで来るのに通ったパアン・ミャインジーグー区間ほうが舗装が荒れていたくらいだ。
前を走るバイク、ナンバープレートがタイ語である。この道は国境まで通じているのだろう。
後ろを走るバイクを運転しているのは、どう見ても10歳に満たない子供。しかもナンバープレートなし。田舎はこんな感じらしい。


この付近にはほかにも面白い形の山がある。
これも名前は不明。

ミャインジーグーの町を出ていくらもいかないうちに、料金所があった。これは、町が設営している料金所だろうと思う。パアンなどの主だった町の入口には料金所があるのだ。
通行料は町の中の道路の補修などに使われるという。

ほかに、民兵が設置している私設料金所がある。通過するのには80円くらいの料金を取られ、おそらく彼らの活動資金か生活費になるのである。
街道を東へ進むにつて、その密度が増えてきた。数が多いと料金もバカにならない。
峠とか橋を越える場所ごとに検問所がある感じだ。

よく見ると、検問所に仏旗が掲げられている。もしかしてこの人たちはDKBA(民主カレン仏教徒軍)なのか。
DKBAはカレン族の独立運動の内戦の最中に、キリスト教徒の比率が多いKNU(カレン民族同盟)から分離し、政府軍側についた仏教徒たちの軍事組織である。
DKBAが寝返ったためKNUの本拠地マナプロウは陥落し、恩賞として政府はミャインジーグーをDKBAの自治区として認めたという歴史をもっている。

そういえば、その検問所を通過するたびに、ドライバーが前の村で買ったスイカやカボチャを民兵に渡している・・・
乗用車のフロントガラスにはでかでかとKNUのステッカーが貼ってあるので、その対策か?
もしかして、「俺たちKNUとお前たちDKBAは友達だよな? これ友達の証のカボチャだから」とか言ってる?

峠を越えるときに、サルウィン川の上流が見えた。
かつてKNUの本拠地マナプロウ(Manerplaw)があったのは、この見えている場所から60kmくらいのところ。
つまりここから奥は、ミャンマー政府と反政府勢力が本格的な戦闘を繰り広げた場所なのである。

しばらく進むと、丸坊主の山があった。
山火事があったらしく、ところどころまだくすぶっているという状態だった。
暑季に雨が降らず、あまりにも暑いため自然に山火事が起こるらしい。

道端に小さな家が並んでいる場所があった。
内戦時代、タイ国境を越えて逃げて難民になったミャンマー人が14万人いるという。その難民キャンプから帰還した人々のために用意されている家なのだそうだ。
ほかでも街道沿いにこういう建物を見かけるが、あれらも帰還者用住宅なんだろうか。

いくつもの小さな峠を越え、くねくねとした山路を進んでいく。

小さな村があった。
もう滝が近いらしい。

村人。
抜き身の小銃がさして珍しくないこの国。
でも、ヤンゴンに住んでいるビルマ族の人がこのあたりに観光にくると、やはりちょっと驚くらしい。

村の家の構造は、パアン近辺とあまり違わないように見える。

道をまたぐゲートがあった。

どうやら滝に到着したようだ。
ここは民兵の料金所ではなく、滝の寄進所っぽい。

滝の名前はチョントゥ滝(もしくはジョントゥ滝)だと思うのだが、唯一読めそうな英語の看板には「Glue-Thor waterfall」とある。
一番下はタイ語。
二番目にある漢字みたいな文字は、ミャインジーグー文字というもの。ミャインジーグー文字はミャインジーグー僧正が考案したとされる文字で、カレン語を表記するための文字だという。

駐車場は車でいっぱい。
朝6:30にパアンを出て、到着したのが9:30。3時間ほとんど走りづめだったので、道のりは100 km 以上はあったのではないか。
駐車場が満車になると、街道沿いに路駐することになる。

駐車場整理の民兵さん。
サブマシンガンっぽいものを持ってる。
要らないよね、車の誘導にサブマシンガン!

このおじさんは小銃を背負ってる。
銃口にはコンドームみたいな形のキャップがついていた。
ここ、本当に外国人に開放されてるんだろうか・・・
(2015年04月18日訪問)