山口駅から北西の山中にある寺。さきほどの古熊神社からはひと山となりの裏側にあたる。
平安初期に創建されたという寺伝をもち、鎌倉時代の文書にこの寺の様子が書かれているという。確認できる山口盆地最古の寺ともいわれる古寺だ。
山門は八脚門の仁王門。
そこからは石段が200mほど続く。
野趣あふれる石段で、確かに古い歴史のある寺だとわかる。
土曜日だが、観光客は私ひとりしかおらず、境内はひっそりとしていた。
こういう地方寺院、好きだなあ。
石段を半分登ったあたりに本坊がある。現在は無住っぽい。
本坊は3棟の建物から構成されていて、参道から見える側の銀色の屋根の建物は方丈ではないかと思う。
銀色の屋根は波板だが、その下は茅葺きであろう。
その奥にもう1棟の建物が見える。これは庫裏(かまどなどがあるいわゆる台所)ではなかろうか。
庫裏の裏手には小さな泉があった。
ちょろちょろとした流れだが、常にこれだけの水があればかなりの人数が生活できる。
大寺だったころに大勢の僧侶をまかなうことができただろう。
本坊からまた少し石段を登ると鐘堂がある。
構造的に近代のものだと思われる。
石段を上り詰めたところにあるのは、山王社。つまりは神社である。一般的に天台宗の寺に建てられる神社だ。
現在は覆屋があり社殿は中に鎮座している。
社殿は一間社流造の小さな社。
修理したときに棟札が見つかり、室町時代初期(1374)に作られ、192年後の室町時代末期(1566)に建て替えられたことが確認できるという。
また、宮大工は白上彦次郎という名前が書かれていて、それは古熊神社の本殿と同じ大工なのだそうだ。
山王社の左手には方5間の観音堂がある。やはり茅葺きの建物である。案内板によれば、最初に建てられたのは室町時代とされているが、江戸時代の改修によって大きく姿を変えているという。
木造建築は使われながらその時代時代の利便性や建築手法などが加えられて変化していくのが本来だ。だが古い建築で創建当時の造りが想定できる場合、現代の改修で徹底的に原初の形状に戻されたうえで国重文に指定されることがよくある。
私はどちらかというと、原初の形状に戻されるよりも、あるがままに時代を越えてきた建物のほうが好ましく感じる。そのために国重文になれず県文どまりになっていたとしてもいいではないか。
室町時代の様子は木鼻に確認できると案内板に書かれていた。具体的には、矢印部分の部材の側面に掘り込まれている渦巻き形の模様がクロソイド曲線のようにシンプルなカーブになっているところに着目すればよい。二段ある下の木鼻のほうが古そう。
向拝部分の虹梁の木鼻を見ると、この曲線が扁平になり、しかも雲のようなモコモコした曲線になっているが、こうした複雑な模様は近世の特徴であり、この向拝が後補であり本体よりも時代が下るものだとわかる。
(2003年09月06日訪問)