常栄寺

雪舟作といわれる名庭園がある観光寺。

(山口県山口市宮野下)

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う~ん、これはこれは、かなり極まった観光寺に来てしまったな、というのが常栄寺に到着したときの第一印象だ。

当サイトの掲載寺院には有名な観光寺は少ない。著名な寺を避けているわけではなく、著名寺院を廻った時代にはカメラを持っていなかったからだ。その後、カメラやデジカメを持つようになったからといって、撮影のためだけに同じ寺を再訪するのは私のスタイルではない。必然的にマイナーな寺が多めになってしまうのだ。

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だが山口県のように初めて訪れる県では、まず有名な寺から見ていくことになる。それは別にいいのだが、いまではきっと何千人かがこの常栄寺のことをblogに書いているだろうから、いまさら私が書き加えることもなさそうなので、さらっと紹介していきたい。

門前には観光バスが止められるスペースが大量にあり、そこから吐き出される浮かれた団体客をあしらうための大型の土産物屋もある。寺の門前にお店があるかどうかは、私にとっては比較的重要なポイントとなるので、当サイトではあれば必ず紹介している。

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では寺に入っていこう。

総門の薬医門。

「総門」とは、寺の一番外側の門というような意味。当サイトでは寺のメインの門を「山門」と呼んでいる。寺に門がひとつしかなければそれが「山門」だ。もし寺の外部から伽藍の中心にいたる動線に2つの門あれば、その場合外側から見てはじめの門を「総門」、次にある門が「山門」としている。

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袖塀に伽藍配置図があった。

観念的な図で判りにくいが、建物の呼称は参考になる。

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総門の左側には「自照堂」と書かれた建物が見える。

プライベートな感じで、一般の観光客が入ることはできそうにないが、客殿のような感じの建物だ。

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山門を入って最初にあるのがこの地蔵堂。

不思議な建物だ。一間一戸楼門かあるいは袴腰鐘楼の2階部分が地表に置かれたような作り。

常栄寺は大正時代に火災で全焼しており、そのときの焼け残りを再利用した堂ではないかと思う。

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中の地蔵も取ってつけたような置かれ方。

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鐘楼の一部には天竺様の意匠がある。

材木の風化の感じではけっこう古そうで、江戸初期くらい行くのではという感じだ。この寺で最も古い建物ではないか。

この寺では他に総門の薬医門くらいしか古そうな建築物はない。

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山門の右手には宝蔵庫と拝観受付所。

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左手には棟門(むなもん)平唐門(ひらからもん)勅使門(ちょくしもん)がある。

勅使門とは機能面から見た門の呼称だ。特別な客(語義的には天皇からの使者)を迎えるときにのみ使用するという門であり、普段は人を通行させない。

平唐門とは、門の屋根の形状から見た呼称だ。切妻平入りの(むく)り屋根の門で、妻が唐破風になっている形状の門をいう。では一般的な切妻の門を「切妻門」と言うかというと、そうは言わない。切妻の屋根よりも起り屋根が格式が上だから、それを喚起するために特別に唐門と言い分けているのである。

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棟門とは、構造から見た門の呼称だ。門の構造は柱の本数で表す。このように2本の柱で屋根を支えているものが「棟門」、柱の数が4本の柱であれば「薬医門」、6本であれば「四脚門」、12本であれば「八脚門」というふうにである。

棟門は2本の柱で架構するシンプルな門だが、意外に実例は少ない。2本柱では前後の方向の力に弱いので、かならず袖塀とともに作られる。

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しばらく進むと山門の一間一戸の鐘楼門がある。

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門の正面には玄関。

伽藍配置図によれば「茶所」とあるので、手前の向拝部分が玄関で、背後の建物は客殿なのかと思う。

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右側には庫裏。

切妻妻入り、煙出し櫓つきのきわめて本格的な庫裏だ。

庫裏(くり)」とは小寺院では本堂の横にある寺の家族が住む家のことだが、本来は「(くりや)」で、寺の僧や修行僧たちの食事を作る台所のことである。内部は天井がなく吹き抜けで、煙出しの真下には(かまど)があるはずだ。

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左側には方丈。その奥に見えるのは禅堂。

伽藍配置図でいうと方丈は「本堂」と記載され、禅堂は「選仏堂」と記載されている。選仏堂と禅堂は同じ意味であり、座禅をするための専用の堂だ。

本堂の前には石庭がある。これから建物の中に入り、庭を拝観していく。

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本堂の内部。

このような畳敷きの部屋の中央に仏間を置いた建物の呼称は構造的には「方丈」でいいと思う。だが、機能面では本尊を祀る堂である「本堂」とも言える。

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本尊の千手観音菩薩。

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香炉の灰がきれいに均してあった。

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この本堂の正面には枯山水の石庭がある。名前は「南冥庭」。

この庭は漢陽寺の庭を設計した重森三玲の作である。見比べてみると確かに同じ作者であろうという共通性がある。

奥に見える門は、先ほど紹介した勅使門である。

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本堂側から禅堂を見たところ。本堂からは渡り廊下でつながっている。

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本堂の左側には伽藍配置図で「隠寮(いんりょう)」とされる建物がある。隠寮は「寺の長老の居室(や住居)」というような機能の建物のことである。

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その隠寮からはさに渡り廊下で茶室が接続している。

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躙り口(にりじぐち)もある本格的な茶室だ。

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本堂の間取りの後ろ半分は書院になっている。

背面も壁はなくすべてが掃き出し窓になっていて、建物の北側なのに明るい。

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本堂の背面を外からみたところ。

背面なのに前面と錯覚しそう。

この前に雪舟の作庭と伝える庭がある。池泉回遊式の庭園で、実際に参拝客が庭園の中を歩けるようになっている。

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寺伝によれば、室町時代にこの地を治めた大内氏が金閣寺を模した別荘を建てたときに雪舟に作らせた庭だとされている。

奥には池があり、涸れ滝を配している。手前は広々とした芝生に、各地の名山をイメージした大小の石が配置されている。池の面積に対して、芝生の面積が広いのが特徴か。池泉回遊式といいつつ枯山水に近い。旅の初日に見た普賢寺の庭園とも似ている。

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伝説が真実かどうかは判らないが、雪舟が作ったと言われればそうかなと思わせるような、大胆な作りだと思う。

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回遊ルートにある聴松亭と思われる四阿(あずまや)

(2003年09月06日訪問)

福岡県の仏像 (アクロス福岡文化誌 8)

単行本 – 2014/3/30
アクロス福岡文化誌編纂委員会 (編集)

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