豊田町には著名な2つの古い山岳寺院があり、修禅寺はそのひとつ。
この寺は弘法大師の開山、栄西が堂塔を整えたという伝説があり、はっきりしているのは毛利輝元の時代に中興して諸堂を整えたという。
山深いところにあるにもかかわらず、かなり堂の数が多いらしいので期待も高まる。
駐車場があり中腹まで車で上れるが、そこからは徒歩。このとき天気予報通りに雨が降り始め、けっこう強く降ってきた。駐車場からお寺までは山道を徒歩になる。
30分くらい車中で待機し、少し小降りになってからお寺へと向かうことにした。
途中、護摩のお焚きあげ場がある。
駐車場から寺までは700mほど。
ゆっくり歩いて30分ほどで本堂前の石段に到着。
まず地蔵堂がある。
そこからは急な石段が続く。
楼門が見えてきた。
建物はわりと新しい。築20年くらいの感じだ。
楼門の横に高い石垣があり宝形の建物があった。
経堂ということだ。中は確認できなかったが、輪蔵だと思う。
楼門をくぐってすぐ左には水盤がある。
手ぬぐいが掛けられていることから、水垢離の行場になっているのかも知れない。
この寺は現は在真言宗御室派に属するが、狗留孫山の山岳修験の拠点にもなっているようだ。
水盤の先には報恩堂という堂があった。比較的新しいものだ。中には達磨が収蔵されている。
楼門を過ぎるとまた石段があり、
本堂へと続く。時代は江戸末期かそれより下るかも知れない。
本堂は急斜面に石垣で築いたわずかな平地に建っている。要害堅固な山寺だ。
楼門のところと同じように、本堂の右側にも高い石垣がありここには護摩堂の不動堂が建てられている。
本堂と不動堂は渡り廊下で結ばれている。
このあたりの造りが修禅寺のもっとも山寺らしい風情を感じるアングルだろう。
本堂と不動堂の間には賓頭盧堂がある。
本堂の中では、お遍路さんが祈祷中。
この寺には、狗留孫山八十八ヶ所という四国の写し霊場があるのだ。寺の境内にいくつかの札所があるが、全体としては広い範囲に分散していて、車で移動しながら廻るという地域型のミニ霊場のようだ。
本堂の左には高欄のある縁があり、背後の通夜堂へと通じている。
この場所からは一本杉という大杉が見える。
推定樹齢1,200年という巨樹である。
通夜堂は信徒がお籠りをするための堂であり、当サイトでは通常は「籠り堂」もしくは「衆寮」と呼んでいる。
通夜堂の内部。
その奥には庫裏があった。
なお、ほかに奥の院が900mほどのところにあるが、雨が強いので行けなかった。徒歩30分くらい、懸崖造りの立派な奥の院のようだ。
こちらの住職はとても熱心な方で、どうしたらこの寺に人が来るようになるのかしきりに訊かれた。この雨の中、けっこう参詣者が来ており、すでに十分な参拝者はいるように思えた。
(2004年05月03日訪問)