
豊田町にあるもうひとつの山寺、
狗留孫山の隣りとはいえ、寺へは山を巻くことになるため、車で40分ほどの距離となる。

駐車場付近に山門の仁王門がある。
ここから先も車道があり、本堂付近の別の駐車場まで行けそうなのだが、やはりここは歩いて参詣したい。

この寺は奈良時代に役行者が開基したという寺伝をもつ修験道の古刹で、「西の高野山」の二つ名をもつ名刹だ。
かつて壮大な一山寺院であったろうことはこの伽藍配置図からもうかがわれる。地滑り地形かとも思われる山腹のなだらかな斜面は雛壇状に造成され、今は失われているとはいえ、かつてこの段々にいくつもの寺が建ち並んでいたであろうことは容易に想像できる。
「××の高野山」といわれる寺の中には、それは言い過ぎだろうという物件もいくつかあるが、この寺に関してはそれなりに妥当と思う。

山門は古そうな八脚門。この寺で最も古い建物かも知れない。少なくとも江戸初期か、ヘタをしたら室町くらい行くのではないかという風情。

中の仁王像。阿形。

吽形。

軒が吹き寄せ垂木なのと、軒飾りに舟肘木が多用されているのが特徴的。
吹き寄せ垂木は神社で比較的よく見かけるように思う。修験道でかつては神社と寺が渾然としていた時代の名残なのかもしれない。

山門を過ぎると「無明橋」という石橋があり、参道は鳥居をくぐって進む。
雨が降っているためか、参道にはたくさんのサワガニがウロチョロしていた。

参道は緩い石段が続いており、その両側は、あからさまに塔頭の跡である。

本坊のひとつ下の段にある四脚門。もちろん塔頭の門だったと思われるが、建物は残っておらず、駐車場への通用門のようになっている。

本坊へ到着。
本坊の門は薬医門。

本坊の衆寮。
ユースホステルをやっている。
衆寮の後ろ側に庫裏があるようだが、ここからはよく見えない。

衆寮の左側には本堂がある。

本堂。こちらも吹き寄せ垂木。
基礎や濡れ縁、正面のガラスの桟戸などの外周部分はごく最近の補修だが、板蟇股や木鼻などに古色も見られ、意外に古い建物ではないかと思う。

本堂のひとつ上の段には護摩堂がある。
まだ築10年くらいの感じだが、この場所もかつては僧房が建てられていた敷地なのだろう。

護摩堂から本堂のほうを望む。

護摩堂のさらに奥には、伽藍配置図で「温座堂跡」と書かれた場所がある。どうも、愛染明王堂があった場所のようだ。
「温座」とは僧が修行三昧を積むせいで座が冷えないというような意味。

近くには野趣あふれる水盤があった。

本堂の正面にはかなり広い土地があり、庭園になっている。
かつてここにも寺院があり、この庭はおそらく寺院の方丈の裏手にでもあったのだろう。

庭側から本堂の方向を見たところ。

この庭は雪舟の築庭という伝説がある。
前回と今回の山口の旅でいくつもの雪舟庭園といわれるものを紹介してきたので、記事を通読されている方はなんとなく雪舟庭園といわれるものがどういう庭なのか、わかるようになったことと思う。

庭の一角に、宝篋印塔があった。
近世のもの。

一段下がったところにある「寂石庵」という塔頭。
あまり仏教建築っぽくなく、山家のようだ。

参道を戻る。
塔頭が雛壇状に並んでいるのがわかると思う。かつて6つの寺院があったという。
これはたぶん「観音堂跡」といわれる場所。

塔頭のならびの一番下段は「下ノ坊跡」と言われ、現在は茶室の「無心庵」が残っている。

無心庵。

他の坊に比べると、庭がきれいに整備されている。

この庭も雪舟の築庭という伝説がある。

雨が降っていたせいか落ち着いた雰囲気だ。
建物自体が多いわけではないが、かつての大寺の面影を色濃く残した名刹であり、特に小高野マニアの方にはオススメの寺だった。
(2004年05月03日訪問)