神功皇后が新羅征伐の際、この地に拠点を構え、夫である仲哀天皇が亡くなった際に弔った場所とされる神社である。
とはいえほとんどは伝説である。どこまでが真実なのか物語なのか、それは専門家でなければよくわからない世界だ。
境内はちょっとした学校くらいの面積があり、広々としている。
社殿は土盛りの上に建っている。
神門の四脚門。
主要社殿の右側には末社の荒熊稲荷社と相撲資料館がある。山口出身で昭和に活躍した力士、魁傑の資料を展示している。
神功皇后お手植えとされる松の名残とされるもの。実在の人物かどうかも定かではないのに、物証を作っていくというのはどうなのだろう。
仲哀天皇がここに居を構えたとき熊襲の
社殿を見ていこう。小山の下にある水盤舎。
社務所。
拝殿は入母屋妻入り。
本殿は入母屋平入りという珍しい組み合わせ。
本殿の右側は瑞垣で囲まれていて中門(写真左)がある。
中門のさらに左には玄関状の建物がある。
拝殿にあったおみくじの販売機。
こちらは電力付きの販売機。
よくある無電力の販売機と似たような外観だが、前面に灯籠が埋め込まれている。
もしかして、このボンボリが光るのか??
少なくとも、おみくじの売り切れを表示するパイロットランプは電気で光るのだろう。
こうした販売機の中を見せてもらったことがあるが、リバーサルフィルムのマウントを連続映写する映写機のような造りで、スリットのたくさんある円盤に籤がセットしてあり、外部電源なしで回転するようになっていた。
この機械もたぶん籤を出力するためには電力は使っていないと思う。
本殿の左側にも中門があり、その先には護符販売所があった。
その護符販売所のさらに左側味は末社の八坂神社がある。
八坂神社の拝殿。
そのほかに、この神社には仲哀天皇に大陸からカイコの卵が初めて献上されたという伝説もあり、境内には蚕種渡来の碑というものがあったようだが見落とした。境内の左奥の図書館の横のほうにあったようだ。
忌宮神社の社殿は南面していて、境内の正面も南側になるのだが、東側を山陽道が通っており東門にも立派な鳥居がある。
(2004年05月04日訪問)