松江城

現存12天守のひとつで国宝。

(島根県松江市殿町)

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松江城へ行ってみる。松江城は以前に普通の観光で来たことがあり、今回で2回目。

堀川観光の遊覧船が内堀を通っていく。かなり広い堀であることがわかる。

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現在、松江城の内堀には東西南北に5ヶ所に橋が架けられている。今回は東側の橋、北惣門橋から城内へと入ることにした。

松江市は宍道湖の低湿地を埋め立ててつくられた城下町だ。城のある小山は亀田山という自然地形で、尾根を切り崩して独立丘陵とし外周に内堀を築いた平山城である。

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惣門橋を入ると広場がある。この広場は平面的には松江市内と同じレベルになり、そこから先に二の丸の石垣が見える。

写真では2つの櫓が見えるが、この二の丸には3つの櫓がある。写真右が太鼓櫓、左が中櫓。2001年に復元された建物だ。

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石段を登って二の丸に入った。

中櫓の近影。まだ出来てから4年目なので出来立て感がはんぱない。

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そこから少し南へ歩くとあるのが、南櫓。こちらは2000年に復元された建物。

2層2階の城らしい建物。

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南櫓は中に入れる。

木材などは本当に新しく見えるのだが、曲がった材木を使っていたり、柱は手斧擲(ちょうななぐ)りで仕上げてある。単に木造で再建するというのではなく、昔ながらの技法を用いているのがわかる。

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二の丸から本丸へはまた石垣がある。

天守閣は4層5階。江戸初期(1611年)に落成し、江戸中期(1738年)に大改修を経て現在の姿になった。日本に12ヶ所ある現存する天守閣のひとつで、このとき国重文。(その後2015年に国宝に格上げされた。)

天守閣というと鏡餅みたいに階層が逓減しながら積み上がった構造をイメージしがちだが、この天守を見ると、禅寺の重層仏殿のような入母屋建築の大棟に望楼を載せた形が原形になっていることがわかる。初期の天守閣の特徴だ。

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天守閣の入口は南側に突き出した附櫓にある。

ここは石垣の中であり地下1階にあたる。

こうした建物では履物をレジ袋にいれて持たされることが多いが、ここでは下足箱がたくさんあり入口で預けていけるのがうれしい。

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この入口で気になるのがこの小さな小窓。

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裏側から見るとこんなふうになっている。たぶん鉄砲狭間なのだろうな。

私は天守閣の中にあるこうした小細工がけっこう好きだ。常識的に考えて、ここまで敵に攻め込まれる状況では、もはや城主が切腹する時間を稼ぐための機能としかいえないだろう。この後におよんでまだチマチマと鉄砲を放とうというのは、ユーモラスとも言えるのではないか。

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その横には見張り台らしきものがある。ここからは本丸がよく見える。

鉄格子が嵌まっているので、ここからは侵入できないよ、ということなんだろうが。

後ろに石積みが見えるが、ここはまだ半地下である。

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このフロアには鉄砲狭間がけっこうあるのだが、位置が低く、射撃しにくそう。

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このフロアには井戸がある。篭城になったとき、建物から出ずに水を酌めるという工夫。現存天守ではここだけだという。

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このフロアは塩などを備蓄していた場所だった。

一角に棟札や幣束のようなものが置かれていた。

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階段を登って1階へ。

ここは史料展示室になっている。

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このフロアで気になるのは、この石落し。

天守閣の外観で、斜めに盛り上がった戸袋みたいな箇所があるが、その下部にはスキマがあって、石垣に取り付いた敵兵に石や汚物などを落としたとされる設備である。

本丸まで攻め入ってから、石垣に登る奴なんているのかね。

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階段は現代建築のように一ヶ所に集めてはなく、それぞれに離れている。

本丸内の移動距離を広くするためか。まあ、こういう構造好きなのでいいのだけど。

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謎の階段発見。

破風の中の銃座入口か。

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高層階だというのに便所がある。

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さらに登っていく。

間取りは狭くなって、望楼部分に入ったのがわかる。

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最上階へ到達。

周囲には欄干があり、開口部が広く開放的。

現存天守では登っても大して眺望のない場合もあるのだが、この城はとても眺めがよい。

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本丸の一之門を見下ろす。

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松江市街地や宍道湖方面がよく見える。

そもそも天守閣って、薄暗い土蔵みたいなところに立て篭るだけの建物ではなて、高所から遠方を監視する機能もあるわけだから、こうでなくては。

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宍道湖に浮かぶ嫁が島という小島。天守閣からは南方に見える。とても小さな島だし、ほとんど海抜がないのだが松が生えている。

この島の名前にはこんな伝説がある。

むかし松江城下に姑にいじめられていた嫁がいた。ある夜、嫁はいじめに耐えかねて実家に帰ろうとした。そのとき宍道湖は凍結していたので氷の上を歩けば近道だった。湖の中ほどまで来たとき氷が割れ、女は湖の底に飲み込まれて水死してしまった。すると突然、湖底が女の亡骸を載せて盛り上がって、一夜にして島ができたのだった。人々は女を哀れんで、この島を嫁が島と呼ぶようになった。

なんともやるせない伝説である。

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気を取り直して、今度は天守閣の北側を眺めてみる。北側の松の木にはアオサギが群れで休憩していた。

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先ほど行った千手院だ。裏手にある多宝塔の塔心だけが高々と立っているのが見える。

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帰りは天守閣の北側をひと回りして、北側の稲荷橋から外に出ようと思う。

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でもその前に、城内にある神社などを紹介しておこう。

(2005年04月30日訪問)