松江城界隈を離れて、月照寺へ。
ここは宍道湖温泉の北側の尾根の麓にある、西の寺町と言っていいエリアだ。
その西の寺町を代表する寺が月照寺である。松江松平家の初代直政が中興した寺で、以来松平9代の大名墓が並ぶ。ただし、堂宇のほとんどは失われていて、仮本堂などわずかな建物を残すのみ。大寺院というよりもただの墓所という印象の寺だ。
境内に入るとまず正面に棟門がある。棟門としては最大級の大きさのもの。年代はあまりなく昭和か、行っても大正くらいではないか。
この門をくぐって進むと、墓所へと入って行く。本堂に詣でるにはこの門に入らずに右手へ進めばよいのだが、流れで墓所巡りに突入することにした。
四脚門を過ぎると右側に鐘堂、そこから左側に進むと、向唐門の薬医門がある。
ここがこの墓所で最も立派な、初代
廟の廻りには堀がある。周囲にはアジサイが植えられているので、花の季節には美しいだろう。
堀がある墓はこの寺ではここだけだ。
直政の墓石。
続いて、その右隣にある、七代
こちらも向唐門の薬医門。門は初代よりも少し立派だ。
治郷の墓石。
治郷の墓所は少し高いところにあるので、初代の墓所を見わたすことができる。
里山に囲まれた広大な寺域がわかると思う。植生は照葉樹が多い。
順路にしたがって北のほうへ進むと、次ぎにあるのは五代
その隣りは三代
ちょっとこの辺から、墓所が集中してくるので、写真が合っているのか心もとなくなってくる。
これまで大名墓群がある寺をいくつも見てきたが、ほとんどは軽く流すだけで、ひとつひとつ撮影するのは今回が初めて。当サイトは伽藍(=建築物)が主体なので、他の構成要素はどうしても手薄になりがちなのだが、この寺は墓所に木造の門があるので個々に撮影する気になったのだ。
綱近の墓石は宝篋印塔だった。
その北側にあった九代
九代の墓石はどっしりとした感じ。
二代
綱隆の墓石。宝篋印塔だ。
このあたりからホントに自信がなくなってくる。
八代
齊恒の墓石か?
鳥居が壊れていた。
たぶん、四代
たぶん、吉秀の墓石と思う。
最後は六代
いや、ホント、写真を撮っているときには全部紹介するという決意が足らなかった。メモ帳をカチンコ代わりにして写真が特定できるように撮るべきだったな。
六代の墓所にはカメの形の寿蔵碑がある。
碑は宗衍の功績について書かれているという。
このカメは夜になると松江市街に出没して暴れたなどという伝説があり、小泉八雲の『知られぬ日本の面影』にその記述があるそうだ。
墓所をひと回りしてやっと寺の伽藍の紹介になる。
これは御霊屋とされている堂。位牌堂である。
宝蔵庫。
伽藍配置図で本堂とされている堂。
本堂の内部。
現在の本堂は仮の建物なのだろう。
本来、本堂があった場所には礎石が残されている。
書院。
伽藍配置図では「高真殿」となっている。
書院の裏手には美しい庭園がある。
書院の前にも薬医門があり、その先には宝物殿が建っている。本当なら、こっちから本堂に拝観して、それから大名墓巡りをするのがいいのだろう。
順番が逆になってしまった。
(2005年04月30日訪問)