雲樹寺。宗派は臨済宗妙心寺派。
鎌倉時代末期に創建された禅寺で、かつて七堂伽藍を完備、塔頭も20ヶ寺を有したとされる大寺院。ただし、江戸末期の火災で総門以外のすべての伽藍を焼失し、現在の建物はその後の再建という。どのくらいの伽藍が残っているのか、楽しみである。
山門は三間三戸楼門。
ちょっと変わった楼門だ。
その最たる部分は、屋根の上にあるチョンマゲみたいな棟飾り。これまで、似たものをみたことがない。
一階の貫の部分の納め方もちょっと変わっている。
一般的な楼門では、一階の柱の最上部には
ここが抜けている楼門は、最近では山口の快友寺でも紹介したがたまに見かける。2階縁の下の組み物を二手先、三手先とせず、出組み(一手先)にしている場合に多いように感じる。
特に奇妙に感じるのは、虹梁の下部には
もしかすると他の建物を解体したときに出た古材で建てたのかもしれない。
山門を入ると右側に水盤舎、香炉堂、観音堂がある。
水盤舎には来待石製のかわいらしい龍の吐水口がある。
参道をさらに進むと左側に池があり、池の中に宝形のお堂がある。池は放生池であろう。
お堂は弁天堂かと思いきや、薬師堂であった。
薬師堂の前には1対の香炉があるのだが、ここにも清水の辻堂で見かけた護符がべたべたと貼られていた。
さらに進むと、1間×0間の阿弥陀堂。
その手前には石幢がある。
短い石段があり、仏殿が見えてくる。
仏殿とは、禅宗寺院で本尊を祀る機能のみを持つお堂である。内部はこのように土間で、土間の上に須弥壇が直接置かれる。
多くの寺では、本尊を祀ると同時に法要を行なう畳敷きの空間を設けていて、そういうお堂は「本堂」という。
本尊を祀る建物と法要を行なう建物は元々は分かれていたのが、節約のため一体化したのだ。よって仏殿がある寺は、禅寺としての純度が高い、といっていいのではないか。
仏殿で有名なのは円覚寺舎利殿などの唐様意匠ギンギンの建築だが、この仏殿の外観は仏殿らしさという意味では見るべきところが少ない。
花頭窓くらいか。
仏殿の左側を巻くと、中門の平唐門の勅使門がある。
門の構造的な言い方は四脚門でいいかと思う。
門は通常は閉ざされている。こうした開かずの門を勅使門という。
門の先には中庭があり、方丈(石州瓦の建物)と開山堂(左奥)が建っている。
建物の中の拝観は玄関で受け付けていて、案内付きで300円だった。
こちらは方丈の内部。なんとなく内陣のほうには行ってはいけなそうな雰囲気だったので、外陣を通り抜けるだけ。
方丈の背後には枯山水の庭園がある。工事中で庭全体を見渡すことはできなかった。
山の斜面に鎮守社っぽいものが2柱みえた。
方丈からは渡り廊下で開山堂へ行くことができる。
禅宗の寺ではこうした折れ曲がった屋根付きの廊下は「回廊」と呼びたくなるところだが、用途的にも構造的にも回廊とはちょっと呼びたくない。
あえて言えば「渡廊」か。
回廊と呼ぶにはまず床がなく土間であることが求められる。このように高床式である時点で、これは渡廊なのだ。
開山堂。
開山堂は一種の権現造みたいになっていて、背後にももう一つお堂が連結している。
開山堂の手前の部分には、国重文の朝鮮鐘が置かれている。室町時代の作である。
開山堂の奥の部分。
開山堂の前には単層の鐘堂があるが、鐘は吊られていなかった。
方丈の右側には庫裏や湯屋などがあるが、庫裏は改装中だった。
さて、雲樹寺の紹介は最初に山門の楼門から始めたが、実はこの寺には総門がある。
当サイトでは、実際に参詣した時系列ではなく、総門→山門→本堂という流れで説明していることが多いが、この寺の参道は不自然に長いので、最後に紹介することにした。
創建当初、鎌倉末期の門とされ、江戸時代の火災を免れた唯一の建物である。
頭貫の木鼻なんかにいかにも古い意匠が見られるのだけれど、部材のほとんどが後補。いや、むしろ建築当初からの材木は一ヶ所もないのでは?という感じ。
これを鎌倉時代の門と言っていいのか、ちょっと疑問を感じるし、失礼だが国重文の価値があるとも思えない。
寺の参道は、あまり人家がない方向へ伸びていて、楼門から総門まで150m、総門から先がまだ150mほどあって、川の土手にぶつかっている。
川の堤防の工事などで付近の地形が変わっていそうだ。
このとき時刻は16時。普段ならまだ次の寺へ行くところだが、きょうは山登りと暑さでかなり疲れているので、もう定宿である松江の民宿へ向かうことにする。夜は玉造温泉へでも入りにいくことにしよう。
(2005年09月01日訪問)