やっと本来の目的地だった築山古墳を探し出した。周囲が住宅に囲まれていてわかりにくく、相当近くま行かなければ見つけられないような古墳だった。
直径42mの円墳で、古墳としては決して小さいほうではない。でもそれが見つからないものなのだ。古墳を探していて屋敷森と見誤ったりして、ウロチョロしてしまうというのは古墳を探した人にはわかってもらえると思う。
墳丘の北側は個人宅の築山として造園されてしまっている。「立入禁止」の看板もある。
ん~? ここも横穴式石室が開口しているはずなんだけど~?
でも焦ることはない。開口している古墳をいくつか見ていくと、だいたい石室がどういうところにあるかは勘でわかるようになる。この庭にはたぶんない!
墳丘を巻いていくと、南西側に石室が開口していた。
プレートが掛かっていてどこそこに電話しろというようなことが書かれていたが、施錠されていなかったので勝手に見学することにした。まあこういうお目こぼしがあるから、ふらっと訪れた観光客も見学できるのであるが、いつか古墳が整備され申込制にでもなれば、私のような適当な人間は「面倒くさいし、いいや」となるのだ。郷里の群馬県には、整備された結果、石室に気軽に入れなくなった古墳がいくつもある。
石室は全長14.6mでかなり深い。懐中電灯は持って入ったほうがいいだろう。
羨道の壁は切り石積みで、先ほどの地蔵山古墳と同様きっちりと隙間なく積まれている。
玄室に入ると、家形石棺が縦向きに置かれている。そしてその奥にも横向きに別の家形石棺が見える。この古墳には2つの石棺が納められているのだ。
手前の石棺にはなぜかブルーシートが掛けられていた。水でも漏るのか。ブルーシートの上部に円筒状の膨らみが見えるが、これは縄掛突起と呼ばれる意匠。
ここからは想像だが、手前の石棺は追葬であとから搬入されたものではないか。石棺の運搬はコロだったと思うが、安置後、最後にコロを抜くときにこの突起を利用したのではないかと思う。
奥側の石棺。こちらには突起はない。
横口式の家形石棺で、横口部のエッジが建築でいうところの几帳面という面取になっていて加工技術の高さがよくわかる。ここにはフタでもはめ込まれていたのか。
天井には水が垂れたようなしみがあった。やはり浸水しているみたいだ。
この石室は盗掘を受けておらず、発見されたのは明治時代だという。そのとき見つかった副葬品がすべて資料館に保管されている。
その副葬品こそこの古墳の最大の価値なのかもしれない。
ちなみに、出雲市にはもう一ヶ所、今市大念寺古墳という有名な古墳がある。築山古墳、地蔵山古墳と大念寺古墳はいずれも国指定史跡で、おそらく3所参りが定番なのだと思われる。でも大念寺古墳は以前に訪れたことがあるのと、ちょっと時間が押しぎみだったので今回はパスした。
見ておけばよかったかな・・・。
(2005年09月02日訪問)