チャッタウトウ大仏

火葬場を併設した大仏寺院。

(ミャンマーモン州モーラミャイン)

カァヨン山からジャイン川左岸街道をタンマサー村方面へ向かう。前回滞在のの最後にコッベン村方面を訪れたときカメラの故障で時間をロスし、1箇所見られなかったお寺があった。きょうはそれを確認しようとここまで来ている。とはいえ、1箇所だけではもったいないので寄り道もしていくつもりなのだが。

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さて、いつだったかタンマサー村方面からの帰路で村の中に大仏のようなものを見た記憶がある。夕刻で遠景のシルエットだったから、それが本当に大仏だったのかどうか確信を持てないでいた。もしかしたらあれは夢だったのか。現実の風景だとしても樹や鉄塔などが大仏に見えたのかもしれない。

よくあるよね。黄昏時に建物や樹のシルエットが一瞬仏塔に見えてしまったり、ただの岩陰が洞窟に見えてしまうという現象。見たい、見たい、と思っていると見えてくる一種の幻影だ。

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たしか大仏が見えたのはこの辺なんだけれど。この路地に入ってみるか。

あの無線局のアンテナを見間違えたのかな・・・。

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しばらく進むと、ありました! 大仏!

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想像していたよりは小さかったけれど、夢ではなかったのだ。

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山門は奥行きが1間あるタイプ。

ミャンマーのお寺の山門は、間口が1間の場合はほぼ奥行き0間、つまり日本でいう棟門に相当する構造なのだ。山門の上に仏像やパゴダを載せると奥行き1間になることが多い。

最近紹介した中では、パアンのマィンカン僧院が同じような構造だった。

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ではさっそく境内に入ってみよう。

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大仏は八角平面の2階建ての本堂の屋根の上に立っていた。

立像で、像の大きさは12mくらいか。下部の本堂はまだ未完成。

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造形はかなりゆるい。倒壊しないように背中に添え柱がしてある。

これだけの規模になるとお坊さんのセルフビルドというわけにはいかないだろうから、大工が建てたのだと思う。幾何学的外観のパゴダに比べると大仏は難しい。縮小模型を作らず、鉄筋工のセンスだけでやってしまったのか。

でもこういう仏像、きらいじゃない。

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タコンタイは2本あった。

大きいほうはモン民族のシンボルのオシドリ、小さいほうは誕生仏が載っている。

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僧房は質素だけど電気も来ているし、自家用車もある。

ナンバープレートは黄色で、お坊さんナンバー。

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でもナンバープレートがちょっと怪しいんだよね。ここはモン州なのにヤンゴン管区ナンバーだし、封印もないように見える。そもそもナンバープレートの材質や書体からしておかしい。

偽ナンバープレートか。

もっとも正規ナンバーでなくても、お坊さんの運転している車を取り締まる交通警察はいないだろう。

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それと、もしかしてここはカレン州なのか?

GoogleMaps では州境はジャイン川に引かれているが、お坊さんはこの段差が州境だみたいなことを言ってたみたいだった。もちろんミャンマー語だから、聞き違いかもしれないけれど。

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境内のほかの伽藍を見ていこう。

こちらは八曜日のパゴダと菩提樹。まだ新しいので、菩提樹も若い。

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見慣れない印相の仏陀。

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そのほか、境内に火葬場がある。

寺と火葬場が一体経営なのかどうかはわからないが、少なくとも敷地は一緒だ。

村の火葬場にしては引導場がかなり大きい。

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200人くらい入れそう。

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引導場から外廊下をたどっていくと奥に火葬炉がある。

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火葬炉も近代的。

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引導場の入口には水がめが割られている。

日本でも出棺のときに故人が使っていた茶わんを割るという風習があるが、それと同じ。死んだ人が現世へ未練を残さないようにするのだ。

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野道具(野辺の送りに使う飾り)が捨てられていた。

日本でもお寺の墓地などで捨てられているのを見たような気がする。もしかして野道具を持ち帰らずに捨てるのも仏教共通の風習なのだろうか。

(2019年07月13日訪問)

民俗小事典死と葬送

単行本 – 2005/12/1
新谷 尚紀 (編集), 関沢 まゆみ (編集)

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