時刻は17時・・・旅館に言ってあるチェックイン時刻になってしまったのに、いまだ山寺にいる。洞雲山や隼山が見どころのある寺だったのでけっこう時間を使ってしまった。旅館には先ほど「30分くらい遅れます」と連絡を入れてあるものの、急いで次の札所へ向かわないと。
隼山からは碁石山へは900mくらいあるけれど、軽い駆け足で移動。こういうときは夢の中の出来事のように不思議に身体が軽い。
2番札所、碁石山へ到着。
駐車場のそばに護摩焚き場のような広場がああり、弘法大師像が見おろしている。
像の基壇には扉があったが中には入れず。何となくだけど位牌堂ではないかという気がする。
この場所にはほかに仮設の大師堂がある。でもこの大師堂が本堂というわけではない。
「本堂はこの奥の階段を登ってください。」とある。
登ると鎮守社があり、石段は下りに転じる。
案内板に沿って進んでいくと、急斜面に張り付くような石段に変わる。
ここからは内海町の町並みがよく見え、その手前に石鳥居があるというフォトジェニックな場所に出る。
高台にある鳥居というと香川県の高屋神社が有名だけど、ここもそれに匹敵する景観だ。構図的にはむしろこちらのほうがいいと思う。
鳥居の先に階段があるが、走り疲れていたのと時間の関係でパス。
あとで調べてみたら、さらに先に岩場の行場みたいな場所があったようなのでここは登るべきだった・・・。
階段をさらに織りて行くとお堂が見える。これが本堂。
つまり、この本堂は崖の上から降りて行くことでしか行けない場所にあるのだ。
うひ~、こういう場所好き!
神社には参道から本殿方向へ参道が下がっていく配置に「
碁石山からの風景。
小山の奥側の町並みが草壁町。小山の手前側が内海町。左下に見える黒い建物は醤油工場だ。
大豆の産地でもない、離れ小島になぜ醤油が? と思うが、小豆島が交通の便の悪い離れ小島に見えるのは自動車が普及した時代の感覚なのだ。明治まで物流には廻船が大きな役割を占めていたので、堺や大阪に近い小豆島は中継基地としてむしろ有利だった。しかも瀬戸内は雨が少なく塩田が発達した地域だったから良質な塩も手に入った。そのため大豆は外部から運び入れてここで加工して出荷する産業が発達したのだ。
さらにあまり知られていないことだが、小豆島はごま油の一大生産地でもある。日本の食用ごま油のシェア50%を占めるかどや製油は小豆島発祥の会社で、そのごま油は現在も小豆島で作られている。
私が宿泊した土庄の旅館は、ごま油工場の近くにあり、町全体にゴマのこうばしい香りがただよっていたのだった。
(2006年10月07日訪問)