時刻はもう16時半近くになっていた。今夜は土庄町の旅館に宿泊するつもりなので、ぼちぼち宿へ向かわなければならない時刻なのである。
これから向かう洞雲山がきょう最後の訪問地になるであろう。だがその場所には、1番札所
ちなみに小豆島の詳細なドライブマップはないので、2万5千分の1地形図4枚に今回の訪問予定地をマッピングしてきた。それによれば小型自動車くらいならお寺の近くまで林道で登れそうなのだった。
醤油工場が建ち並ぶ内海町の市街地から林道へ入っていく。何の変哲もない田舎の町並みの先に、まるでSF映画にでも出てきそうな非現実的な岩山がそびえる。これが小豆島の風景なのだ。岩山の名前は
これから目指す3ヶ寺はこの大嶽にあるのではなく、写真では切れている右側のほうの尾根にある。
車1台が通れる程度の舗装された林道を走ること10分。お寺に到着する。
順番としては手前に2番札所があったが、素通りしてまず1番札所洞雲山を目指そう。
なんとここには先客がいた。白装束に身を包んだ本格的なお遍路さんだ。
瀬戸内の島々には「
お寺へ行くまでの崖にも小さな洞窟があり、石仏などが納められている。
この場所も、きょう見てきた他の洞窟寺院も標高300~400mほどの高所にあるが、見た感じは海や川の浸食作用で出来た洞窟のように見える。隆起した海食洞なのではないだろうか。
鐘堂があった。
一般に○○山という寺は、山号であって寺の名前は別に寺号ある。たとえば、高野山-金剛峯寺とか、比叡山-延暦寺という具合。
だがこの寺にはたぶん寺号がなく、単に「洞雲山」なのである。寺というよりも行場のような位置づけなのかもしれない。
境内に入ると鐘堂、本堂がある。
本堂は中を覗いてみたら、内陣と外陣が格子戸で隔てられている密教型式だった。
本堂をすぎると道は2股に分かれていて、右ルートには参詣者休憩所、左ルートは小さな洞窟へ続いている。
まず左側のルートを進んでみよう。
短い石段を登ると、短い洞窟というか岩陰があって、井戸があって水をたたえていた。
弘法大師がここで修行をしたとき、杖で岩を叩いたら湧き出した泉で、どんな日照りの年にも枯れないのだという。
あふれ出た水が池を作っていた。
観月殿を過ぎると、、、
ひょゎ~~~~!? へ、変な声が出ちゃったよ!
こんなお寺が日本にあっていいの?
巨大な海食洞のような割れ目に、RC造の武骨な懸崖造りの舞台がめり込んでいるのだ。
どうしてこんな素晴らしいことを思いついちゃうんだろう! 懸崖造りで、上りと下りでルートが違う巡礼堂型式、プラス、洞窟!!
これ、かつては木造だったんだろうか? それはそれで見たかった気もするが、そうしたら国重文まったなしって感じで、下手すると入らせてもらえなくなっていたかも。
いいですRC造で! 何ら問題ないです!
いつか朱のペンキで塗ってもいいけれど、無垢のコンクリもこれはこれで未完の美があって悪くない。
さっそく、中に入ってみよう。
2つある階段のどっちから入るか迷ったが「坐雲洞」という扁額がある石段を登ることにした。
この石段はどうみてもRC造の工事以前からあった模様。
石段を上り詰めたところには洞窟の奥になるのだが、そこには別の洞口があって、内海湾の風景が見えている。
裏側の洞口からも光が入るため中は意外に明るいが、洞窟自体はかなりの深さ。
天井を見上げてみると、岩の割れ目に何やらキャットウォークみたいなものが見えるではないか。
気になる・・・人は歩けないよね。
洞窟内には八角堂があり、毘沙門天が祀られている。
洞窟の中の仏堂。日本ではなかなか見られない風景。
その前には護符売り場のような、納経所のような小屋があった。
どうやら逆のルートで参詣してしまったみたい。
洞窟を出ると石のくぼみに弁天宮が祀られていた。
主洞とは別に、岩山に登れそうなルートがあった。
登ってみると鎮守社のようなもので行き止まりになっていた。これも小さな洞窟だ。
この洞窟、少し離れて見るとすごい景観だな。
このまま3番札所・隼山へ向かう。1番からは山頂を巻いた反対側になる。距離は600mほどあるが車は通行できないので徒歩で向かうことになる。いや、もう時間がないので小走りで向かうのである。
(2006年10月07日訪問)