馬場崎の共同墓地

立派な無縁仏ピラミッドがある海辺の墓地。

(香川県土庄町伊喜末)

土庄市街地を横断する土渕海峡を海と見なすならば、先ほど訪れた江洞窟がある場所は小豆島の半島ではなく「前島」という独立した島ということになる。その前島を離れ、小豆島本島部分に戻り西の海岸線に沿った県道を走っていた。きょうの目的地は小豆島の北海岸に沿った地域の寺々なのである。

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伊喜末(いぎすえ)という字を走っていると道ばたに大規模な共同墓地があった。その中に、無縁仏のピラミッドがあったので車を停めて見ていくことにした。

墓地ではどこかの家がちょうど法事をしているところだった。

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これが無縁仏のピラミッド。

他府県のお寺でも墓地を整理したときにこうして墓石をまとめておくことが多いので、まあ全国的に見られるものではある。

でもいくつか気になるポイントがある。

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まず墓石の材質。無縁仏になった古い墓の多くが島でとれる花崗岩でできている。それに対して墓地にある新しい墓は、御影石(庵治石?)でできているものが目立つ。

次に墓石の形状。ほとんどが同じような形で大きさも揃っている。上辺がかまぼこ型になった通称「櫛型」、江戸時代に発生して流行した形だ。

次に墓碑銘。中央上部に梵字が1文字、その下に1名、または2名分の戒名が刻まれている。個人、または夫婦の墓であることを意味している。日本で庶民が墓石を立てるようになってから、長いあいだ墓石は個人か夫婦単位であった。「○○家の墓」、「先祖代々の墓」のような墓石が作られるようになったのは戦後である。

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島という場所ではあらゆるものが有限なのだ。水、森林資源、土地を本土以上に大切にしなければならない。

それなのに個人の墓を建てていたらすぐに土地が足らなくなってしまう。

そのためおそらく早いペースで墓じまいをして埋葬スペースを再利用しているのだと思われる。その結果がこのピラミッドなのだろう。

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この墓地では他にも気付くことがある。

現代の墓地には骨壷を収蔵する小さな地下室「唐櫃(かろうと)」がある。この墓地ではそうした基礎工事が見受けられず、海砂(真砂土)の上に直接墓石が載っているように見えることだ。どうやって納骨するのか。

その風景は両墓制の「埋め墓」を彷彿とさせる。

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近所のおばあちゃんがいたので、埋める墓とお参りする墓が別々の時代があったか尋ねてみたが、そういう記憶はないとのことだった。

ただ比較的最近まで土葬が行われていて、自分も土葬にされたいと言っていた。火葬は熱いからイヤなのだと。

書物によれば小豆島にもかつては両墓制があったが現在は残っていないという。でも、あると思って探したら痕跡は見つかるかもしれない。

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墓石を建てるまえに仮設のお墓となる「霊屋」が目立つのもこの墓地の特徴だ。

このような場所には、おそらく現代でも個人名の墓石が立つのではないかと思われる。

そしてもう一つ気付くことがある。それはほとんどのお墓に花が供えられていること。この地方では、頻繁に墓参りが行なわれていることを示している。

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現代人は、春と秋の彼岸、夏のお盆の期間に墓参するのが普通だ。あるいは信心深い人で月命日に墓参するくらいか。

だがこの地では花が枯れないくらいの頻度で墓参をしているのだ。

——— おそらく、毎日。

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派手に飾りつけられた霊屋があった。

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竹の棒の先についた「花」や、旗などが飾られているので、葬送行列をした可能性が高い。

こうした野道具も遠からず調達できなくなるだろう。

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ピラミッドの横にブロック積みの車庫があって、内部には霊柩車がしまわれていた。

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なお、途中で見かけた飛び出し坊や。

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こちらも飛びだし爺や。

(2006年10月08日訪問)

土葬の村 (講談社現代新書 2606)

新書 – 2021/2/17
高橋 繁行 (著)
筆者は「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を30年にわたって続け、平成、令和になっても、ある地域に集中して残っていることを突き止めた。
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