三都半島の一番南の集落、
途中、細い山道が続くので、土庄の町から来たら本当に辺鄙なところに来たなという印象がある。
峠から神浦の町へ下りてくると、町外れに墓地があった。
時刻は17時。太陽は西に傾き、秋の夕方のなんともいえないさびしい雰囲気があたりを包んでいた。
無縁仏ピラミッドの写真はこのときもけっこう撮ったのだけれど、後日、明るい時間に撮影したもので紹介していこうと思う。
墓地は村外れの、海岸の砂浜の終わりのあたりにある。
正式な名前は「神浦墓地」。
あいかわらず、墓地には献花が多い。
墓地の入口に石製のベンチのようなものがある。
これはもしかして棺を置く台ではないか。
無縁仏ピラミッドは集落から一番離れた場所にある。
構成されている墓石の寸法が綺麗に揃えてあり、端正な美しさ。
こうして見ると、ピラミッドの表面は竿石(碑銘が書かれた部分)で構成されていることがわかる。この墓地で現行の墓石を見ると、竿石、上台、下台の3段墓が多い。台石はピラミッドの内部に積まれているのではないかと思われる。
頂上部の宝篋印塔は、室生のものに比べると時代が古そう。
背面に小型の第2ミラミッドがあった。
おそらく第1ピラミッドが完成後に集まった墓石なのだろう。
でも、台石はどこにいった?
墓地の前の海。
水はとてもきれい。これは瀬戸内の島々の全般に言えることではないかと思う。
昭和高度成長時代に育った人にとっては瀬戸内海というと赤潮の海できたないというイメージがあるが、実際はそういうことはない。大きな川の河口が近い場所や都市の近傍は別として、離島の海はかなりきれいなのだ。
(2006年10月09日訪問)