高松→宇野→豊島

香川県から豊島へのアクセスは悩むところ。

(岡山県玉野市築港)

写真

10月11日、夜明けの高松港。早起きが苦手な私が4時起きで徳島を出て、高松港のフェリー乗り場まで来ている。

小豆島への船旅がこれから始まろうとしている。今年もまた農村歌舞伎を鑑賞するのだ。ただし今回はちょっと趣向を変えて、まず豊島(てしま)へ行ってみようと考えている。

そこで悩むのが豊島への行きかただ。下図を見てほしい。自動車を運べる航路とその料金である。(2008年現在)

写真

カーフェリーが就航している航路は地図の赤線のルートとなる。きょう昼間に豊島を見てから小豆島で宿泊するための最安のルートは、なんといったん四国から本州へ船で渡ってから、本州側から豊島に入る方法なのだ。

これは宇高(うたか)連絡船の料金が格安のために起きている現象なのだろう。実際料金の差は微々たるものなのだが、同じ航路で行って帰るのはつまらないから、今回は❶→❷→❸→❹ルートで巡ろうと思う。

写真

宇高連絡船は非常に便数も多く、24時間運行なのでどの会社のどの便に乗るかを決めずにフェリー乗り場へ行き、すぐに乗船できる。これまでも何度も利用してきた勝手知ったる航路だ。

きょうは四国フェリーを利用。

写真

小1時間の船旅で、岡山県の宇野港に到着。

瀬戸大橋が開通するまで、宇野⇔高松は鉄道連絡船の本州側の玄関口として繁栄した街だ。

だが、その鉄道も瀬戸大橋に付け変わり、いまは少しでも安く本州へ行こうというトラックや、高速道路嫌いの私のような暇人が通過するだけになってしまった。

写真

徳島県の小松島もそうだが、橋や新港ができて人の流れが変わると、急激に街がさびれてしまう。

豊島行きのフェリーが出るまで、30分くらい時間があったので、フェリー乗り場周辺をブラブラしてみた。

これはスクラッチタイルの装飾の古い商店。

写真

魚屋さんかな。

打ち水していて清々しいお店だ。

写真

かつてあったよね。テーブル型のビデオゲームの専門店。

写真

アーケード街があった。

写真

朝早い時間ということもあって、よけいにさびしい雰囲気だ。

写真

新古典様式の元銀行の社屋。

大正~戦前の建物だろう。

写真

アーケードの外れに、神社があった。

築港八幡宮。

写真

境内には「大東亜戰爭殉国慰靈碑」。

写真

拝殿の右側に末社の稲荷社。

写真

よくわからない石塔。

写真

あまり時間がないけれど、JR宇野駅へも行ってみた。

ターミナル駅の風情満点。

写真

朝の通勤のサラリーマンがぽつんと。

写真

到着した電車からは通学の高校生が下りてきた。

写真

フェリー乗り場へもどり、これから豊島を目指す。

写真

フェリーは宇野の港を出港。

三井造船の宇野造船所が遠ざかっていく。

写真

航路は家島(いえしま)を舐めるように通るので、三菱マテリアルの家島工場の巨大な設備を眺めながら進む。

写真

家島の讃岐寺島灯台を過ぎると、、、

写真

豊島が見えてきた。

宇野側から来るとまず最初に見えるのが、豊島事件の後処理をしている処理工場だ。

写真

豊島事件とは、1975年から15年間、悪徳業者によって産業廃棄物が島に持ち込まれ、不法投棄された事件である。

当然島民は行政に訴え出たが、香川県はその長い時間、徹頭徹尾、産廃業者の味方をして島民を苦しめ続けた。業者が最初に出した虚偽の事業申請に許可を出したことを県は最後まで「間違いでした」と認めることができなかったのだ。兵庫県警によって業者が摘発され不法投機が終わるが、それでも香川県は間違いを認めなかった。

写真

違法に運び込まれ、野焼きされた廃棄物は100万トン弱におよび、現在でもまだその回復工事が続いている。

汚染物質が流出しないように、地表をシートで覆っている。

写真

巨大な処理プラントが見える。

これは悪徳業者というよりも、行政が起こした事件と言ってもいいものであり、これはその象徴なのだろう。

現在このエリアは立入禁止だが、事前に申し込みすれば見学できるという。

写真

家浦港に到着。

ここから上陸し、島をひとまわりして、反対側にある唐櫃港から小豆島へ渡ることになる。

写真

港の待合所にあった、汚染土の地層をはぎ取ったもの。

写真

法的な整合性と書類上の成果を重視し、目の前にある現実を直視できない役所の本質は現在も変わっていないから、こうした事件は今後も形を変えて起きる可能性がある。

この事件はこれからも語り継いでいかなければならないだろう。

豊島の汚染土の掘り出し工事は2017年に終わっている。

宇高連絡船の航路(地図の❶)は2019年にすべて廃止された。瀬戸大橋の通行料がフェリーよりも千円程度安くなり、利用客が激減したからである。とはいえ、その金額は瀬戸大橋の入口ギリギリの海岸線まで一般道で行き、橋の最低限の区間(児島⇔坂出北)だけを利用した場合の計算だ。現実問題としてそんな不便なI.C.で乗降する人はめったにいない。橋の前後の取付区間の料金も含めたら、フェリー時代よりも安く本四を行き来できるようになったわけではない。

(2008年10月11日訪問)

ニッポン獅子舞紀行

単行本 – 2024/7/25
稲村 行真 (著)
北海道から沖縄まで500カ所以上に足を運び、取材してきたなかから厳選した獅子舞を歴史や風習、そして担い手の思いとともに紹介する。

amazon.co.jp