甲生の共同墓地

海辺の砂地にある墓地。隠れ切支丹の墓石があるという。

(香川県土庄町豊島甲生)

豊島は5km四方程度の小さな島で、集落は5つしかない。1つめは私が上陸した家浦(いえうら)という港町で、本州側からの玄関口である。2つ目はその東隣りの(すずり)。今日の午後には唐櫃(からと)という港町から小豆島へ渡るつもりで、この大字唐櫃は海岸近くの「小字浜」と山の中腹の「小字岡」に分かれる。これが3つめと4つめ。最後の5つめは、島の南側、豊島の中でも人口の少ない地域の小さな港町、甲生(こう)である。

家浦から唐櫃へ向かうには、島の北側を回る「家浦→硯→唐櫃」ルートか、南側を回る「家浦→甲生→唐櫃」かのどちらかを選ばなくてはならない。もちろん、島を一周すればすべての場所を見られるのだが、それには少し時間が足らない。そこで今回島の南側を回るルートを選んだ。

いま私は家浦から小さな峠を越えて甲生の港に来ている。時刻は12:00。唐櫃港から出るフェリーは14:40発。初めて利用する港なので乗船手続を考えたら14:00には唐櫃港に着いていたい。あまり余裕はない。

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甲生港は漁港で、フェリーや海上タクシーなどは発着していない。漁船の規模も小さくこぢんまりとした港だった。

港を見おろす丘には、妙見宮という神社がある。石段を登ってお参りすべきなのだが、ここは勘弁してもらうおう。もし次に来ることがあれば必ず登るから。

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神社の石段の登り口付近には、花崗岩でできたユーモラスな石祠があった。

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名前はわからなかったが、これは蘭塔ではなく、海上に関わる神様であろう。

金毘羅宮とか、恵比寿神とか。

面白いのは素焼きの壺みたいなものが奉納されていること。瀬戸内に暮している人ならすぐにわかると思う。タコ壺である。

私も香川県でタコ壺を1つ買い求めて、家で傘立てに使っている。

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村で見かけたレアなホーロー看板。

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港から西側の風景。岬の先がアモーレテシマリゾートになる。

ただしアモーレから甲生まで海岸線を通行できる道路はないので、いったん家浦まで戻り、再び山を越えて甲生に入るしかない。

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港のすぐ北側には学校施設の廃虚があった。

家浦小学校甲生分校ではないかと思われる。昭和40年に廃校になり、その後は公民館として使われてたようだ。

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水門があった。

この写真の右側の広い土地にかつて水田があって、大潮のときに塩水が水田に逆流しないように開け閉めしていたのだと思われる。

現在は門扉が壊れているから使われていないのだろう。

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漁協のよこには大量のタコ壺が干されていた。四角いタコ壺ってあるんだ、知らなかった。

もしかしてタコは甲生のかなり主要な海産物なのかも。

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これは私たちが普通に考えるタコ壺。

手前の2つは素焼き、奥の赤味のつよいやつはプラスチック製だった。

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四角いタコ壺もプラスチック製。

山口県の㈱サンポリという会社の製品らしい。

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港のすぐ横が共同墓地になっていた。

海岸線にあり、あまり整地もされていない砂地が墓地になっている。たぶんカロウトがないタイプの墓地だが、これまで小豆島で見てきた整然と区画整理された墓地とは様相がかなり異なる。

これが区画整理前の墓地の様子なのかもしれない。

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これまで着目してきた無縁仏ピラミッドや蘭塔は見当たらなかった。

整理した無縁仏はシンプルに横積みされていた。

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これも無縁仏だと思う。

左側はたぶんキリスト教徒の墓石だ。

あとで調べてみたら、この墓地の古い無縁仏には幕藩時代の隠れ切支丹の墓石が多く見られるという!  知っていたら網羅的に捜したのに、くやしい。いや、そこじゃない。事前情報がなくても注意力で気付くべきなのだ。

この墓石は古いものではなく明治以降だとは思う。

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村の中で見かけた火の見櫓。

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半鐘の屋根が小さいなぁ。ほとんど屋根の役割をはたさないんじゃないだろうか。

(2008年10月11日訪問)

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