中央劇場跡

大映系の映画館だったという。

(徳島県牟岐町中村本村)

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きょうは朝から県南のほうへ来ている。朝から昼まで出羽(てば)島という離島を訪れた。その詳細をここで書き始めるとかなりのページ数になりそうなので別の機会にゆずり、午後から過ごした牟岐(むぎ)町、海部町、日和佐町のことを中心に書いていく。

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この牟岐港から出羽島行きの渡船が出ている。

現在はあまりひと気がない寂しい感じの町だが、かつては県南で最も栄えた港だったという。そのため映画館についての聞き込みをすると、5~6ヶ所の劇場の話題が出てくる。うちひとつはストリップ専門の劇場だ。

ただ県南の方言のため、聞き取りが上手にできず意外に情報が得られなかった。したがって、ここでははっきりと確認できたものだけを紹介していく。

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そのうちのひとつが、現在の農協の建物の北側の敷地にあった中央劇場である。

戦前からあったような芝居小屋が映画館に転用されたものではなく、戦後に映画専門館として建てられたものだ。なぜならば、牟岐町の港付近は昭和21年の南海地震の際の津波でほぼ壊滅し、古い建物は残らなかったであろうからだ。

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中央劇場があったのは、写真の衣料品店と食堂の2軒の敷地だった。

客席は木製の椅子(ベンチ?)が並んだ造りで、固いので年寄りは座布団を持って映画を観に来たという。

主に大映系の映画を上映していたそうだ。

映画館の横は、港から積み出す薪の集積場だったという。

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牟岐町で昔の話の聞き取りをすると、何度も聞かされるのが津波のことだ。

「ここらみんな流れてね、そこの家のおばちゃんらね、子ども負うて逃げよったのにな、背中に負うたこども突いた(亡くした)ゆうたもん。この大川橋な、取れてひもてな、大きな船がずっとあの上あがってもうた。あの時のこと思うたらゾッとするな。朝方やったね、その日スルメがよく捕れてい沖行っとったやろ、人もたくさん出ていたから死者もでたんちゃいますで・・・」

県南には津波碑というものがいくつかあり、いつか訪ねてみたい。

(2007年04月22日訪問)