名取の段畑

急斜面に築かれた柑橘畑。

(愛媛県伊方町名取)

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佐田岬半島からの帰路は国道のバイパスを通らずに、半島南斜面の旧道を通ることにした。そこは急斜面に貼り付くような道路で、四輪車の離合はできるもののセンターラインはない細い道だ。

しかも等高線に沿ってカーブしているから、距離のわりに道のりは長くなる。急ぎの旅には向かないルートといえるだろう。でもきょうは目的のないドライブだから、走行距離が長くなるということは楽しい時間が増えるということでもあるのだ。

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バイパスが出来る以前は、この道が半島を横断できる唯一のルートだった。相当に不便な場所なのだ。

「半島」という言葉は、地続きでありながら離島のような場所の意味だが、佐田岬半島はそれが日本でも最も極端な場所のひとつだろう。

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中央構造線の急峻な斜面が直接海に落ち込んでいるから、海岸線には浜がない。

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波打ち際を通行することはできないのだ。

おそらく長いあいだ半島の村との往来は舟が主流だったのではないだろうか。

岬をひとつ回って、名取という村に差しかかると、斜面は一面の段畑になる。

柑橘の畑だ。

徳島でも柑橘の段畑はあるけれど、これほど広範囲に築かれた段畑はちょっと思い浮かばない。しかも海に落ち込んでいる崖のような斜面である。徳島ではこうした地形はウバメガシの森になっていることが多く人煙はまれだ。

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換金作物としての柑橘畑ができたのは明治以降で、それ以前は大麦やじゃがいもなどの作物を作っていた畑だったのではないか。

現在はモノレールで作物を運び出しているが、それ以前は作物を運び出すのも大変な労働だったろうし、重機も使わずこの段畑を築くには長い時間がかかったに違いない。

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石垣は結晶片岩が中心。

中央構造線の南側を構成する三波川変成帯の岩石だ。佐田岬半島は石でできた半島なのだ。

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畑を見ると、樹形がやけに平らに見える。

これは果樹ではなくて、海風や台風の暴風から果樹を守る垣根だ。

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上から見ると、果樹は垣根の内側に守られるように並んでいることがわかる。佐田岬の特徴的な風景といえるだろう。

(2007年04月29日訪問)

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