徳島県西の霊山、高越山。徳島県民は親しみを込めて「おこっつぁん」と呼ぶ。標高は1333mあり、県西ではひときわ目立つ山だ。
川田劇場跡を紹介したときにその映画館の主な顧客が高越鉱山の労働者だったと書いた。
高越鉱山については実地をあまり見ていないのだけれど、鉱山跡にある日帰り温泉と鉱山について聞いた話を書いてみようと思う。
これはGoogleMapsの3D表示である。
高越鉱山は高越山の東斜面にあった大きな鉱山だった。明治28年に開坑、昭和7年に日本鉱業の経営となり全盛期を迎えた。そのころ日本鉱業が経営する鉱山の中で最大の鉱山だった。
本坑、川田坑、久宗坑の3つの鉱区に分かれていて、約4千人の労働者がいたという。
鉱山から現山川駅までは索道が通じていて、鉄道で鉱石を搬出していた。現山川駅は以前の名前を「湯立駅」といった。聞いたところではその語源は、浮遊選鉱の際の水槽が泡立っている様子があたかも湯立てのようだったことから名付けられたという。
阿波学会紀要 第58号(2012)「吉野川市山川町の地質」に湯立駅側の索道のターミナルの写真が載っている。(画像は当方でニューラルフィルタによる彩色したもの)
それを見るかぎり、索道は木造だったようだ。
現在の山川駅の南側は広い貯木場のようになっているのだが、その場所が鉱山施設の跡地だろうと思われる。
昭和45年に閉山し現在は坑口はすべてふさがれていて、ズリなどが残るだけだ。
本坑の事務所の跡には「こうつの里」という日帰り温泉がある。
高越山の麓には、川田坑口の付近にも「ふいご温泉」という日帰り温泉がある。いずれも鉱山の排水を鉱泉として沸かしている温泉だ。どちらかというとふいご温泉のほうが施設が大きく、清潔感もあるので利用者も多い。
でも私はこうつの里のほうが渋くて好きなので、よく利用してきた。
こうつの里の裏手は広い空き地になっている。この場所には高越鉱山本坑の坑口や選鉱場があった。現在のこうつの里の建物の位置には鉱山事務所があったという。
面白い鉱山住宅の話を聞いた。
鉱山住宅はこの場所から見て南東側、谷の反対の北向き斜面に並んでいた。
こうつの里から高越山頂へ登る県道を進むと、2つ目のカーブのあたりは尾根筋になっているのだが、そこに「ヒコーキ長屋」と呼ばれる住宅があったそうだ。その場所は谷を吹き上がる風のため建物が常にガタガタと音を立てていた。その長屋の中にいるとまるで飛行機に乗っているようだったので、人々はその住宅を「ヒコーキ長屋」と呼んだというのだ。
鉱山は坑道掘りで、深い所は吉野川の水面よりも低かったという。上のほうは高越山中腹の
楠根地に住んで、高越鉱山で働いた人の話を聞くと、出勤するときは山を下りて本坑口から坑道に入り、終業時には高いところの坑口から出て山を下りて帰宅することもあったという。
2009年の3月、こうつの里に入浴目的で来ている。
適応症などのパネル。
こうつの里のお湯は、鉱山の排水を利用した濁り湯で、徳島県内では最も濁りがきついお湯である。下流にあるふいご温泉も同じお湯を使っているというが、濾過設備がいいのか、あるいは、送水しているあいだにすべて沈殿してしまうのか、ふいご温泉ではまったく濁りは感じられない。
脱衣所に入ってみると、びっくり。
なんと、あさってまでで閉館するというではないか。
虫の知らせだったのか、思い立って来てみてよかった。普段、温泉の写真はあまり撮らないのだが、最後の記念に様子を残しておこう。
男湯の入口を入ると廊下が右手に続いている。
脱衣場は鍵のかからないロッカーがあるだけ。
しかも廊下の一部が脱衣場になっているだけなので狭い。
浴室の入口。
浴室は4人も入れば満員になってしまうくらい小さい。
でも温泉の濁り具合がすごい。有馬温泉の金泉を何倍も濃くしたような赤茶色のお湯。しかもその粘土が湯船の底に沈んでいるので、撹拌すると金泥のように輝く。
聞いた話では、鉱泉自体は透明で、この湯船の金泥のような粘土は鉱泉水の沈殿設備の底に溜まっているものをすくってきて、わざわざ浴槽に投入しているのだそうだ。
常連さんがいうには、この泥には重金属も含まれているので、浴槽のお湯で顔を洗ったり、お湯が目に入るとよくないそうだ。
ペットボトルに汲んでみた。
こんな濃いお湯に入れたのだ。惜しい温泉をなくした。
(2009年03月27日訪問)