山徳記念館・徳明園

回遊式庭園のルート中に洞窟がある!

(群馬県高崎市石原町)

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洞窟観音の隣りは山徳記念館・徳明園という庭園になっていて、洞窟観音の入場料でこちらも拝観できる。

子どものころは洞窟観音ばかりが楽しみで、こちらの徳明園はひどく退屈に感じた記憶があるが、大人になればこちらも見逃すわけにはいかないと感じるようになった。

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洞窟観音を造った山田徳蔵は明治~昭和を生きた人物で、新潟の出身の呉服商だった。高崎に「山徳呉服店」という店を構えた。商売は大変に繁盛し、東京、新潟、青島(海外)にも支店をもつほどの規模だった。

現在の山徳記念館と、日本庭園の徳明園は徳蔵の自宅とその庭の跡なのである。

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その敷地は、庭園となっている部分だけでもおそらく2千坪くらいはあるだろう。

もちろん、県道からこの自宅、そして、洞窟観音のある尾根までが徳蔵の土地だったろうから、いかに財力があったかがわかる。

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イメージとしては大名の江戸屋敷くらいの規模。

もし私が生涯で使い切れないほどのお金を手にしたら、やっぱり街から近い山の谷をひとつ買ってそこに別荘を造って静かに暮らしたいと思うだろうな。あと、さざえ堂は建てたい!

徳蔵はそれがさざえ堂ではなくて地下霊場の方向に向いたのだろう。

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徳蔵の家は木造とRC造の混合建築。いわゆる文化住宅の超豪華版といったところ。

縁側に座って庭園を眺めることができる。ただし室内に上がることはできない。

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ここからは高崎市の喧騒はまったくわからない。俗世と隔絶した小さな宇宙なのだ。

太平洋戦争もこの縁側からは遠い場所の出来事のように感じられたかもしれないし、世界が滅ぶときにもきっとその最後の瞬間までここは穏やかなままだろう。

財力ってすごいなぁ。

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RC造部分は収蔵品の展示室になっている。

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特に北沢楽天という漫画家と交流があり、多くの作品が収蔵されている。北沢楽天の作品は大宮の盆栽村にも資料館があって拝観したことがあるけれど、どうも自分にはまだ良さがよくわからないジャンルだ。

いまから100年後には、たぶんいまの萌え絵もよくわからないと言われるのだろうな。

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記念館の地下には防空壕がある。

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太平洋戦争中に造られたもので、うれしいことに一部が公開されている。

サービス精神があるなぁ。

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L字型に曲がっていて、その先は立入禁止になっている。

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この奥に部屋があるそうだ。

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勝手口のほうにも防空壕出口があるというが、これがそうか?

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少し庭を歩いてみよう。

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庭は池泉回遊式で立入ることができる。

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庭には三波石が使われているほか、洞窟観音を掘削したときの残土が利用され、立体的な景観を作り出している。

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池は浦島の池と呼ばれ、浦島太郎の物語をイメージしているという。

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すっごく具体的なモチーフもある。

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あれ? ルート上に洞窟みたいなものが見える。

池泉回遊式庭園と洞窟の組み合わせって初めて見た気がする。

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洞窟の入口には洞窟観音の像を彫った髙橋楽山の手による白衣観音像がある。

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洞窟内はカーブしていて長さは5mほど。

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洞窟の出口。

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出口には笑う鬼、笑う閻魔像があった。

ややイロモノ的な庭園だけど、池泉回遊式庭園が好きならば、洞窟観音に関係なくここだけを見に来てもいいかもしれない。

(2016年05月08日訪問)