洞窟観音

人工洞窟に作られたミニ観音霊場。地下霊場好き必見!

(群馬県高崎市石原町)

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高崎市街に出向いたついでに観音山へ。ひさしぶりに洞窟観音へ寄ってみることにした。

最後に来てからたぶん20年以上は経っている・・・。

道路標識にはまだ「カッパピア」の名前が残っていた。かつて観音山にあった流れるプールを中心とした遊園地の名前だ。「カッパピア」はプール部分の名称で、ジェットコースターなどがある遊戯施設は「フェアリーランド」という名称だったと思う。

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本サイトでは地下霊場はかなり重視しているジャンルになるが、群馬県で最も面白い地下霊場の紹介がずいぶん後回しになってしまった。

それは基本的にサイト執筆の目的で観光地へ行くのではなく、たまたま行った場所を記事化しているためだ。サイトを始める西暦2000年より前に一度でも行ったことのある観光地はどうしても漏れてしまう。

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洞窟観音は山田徳蔵という豪商が個人の資金で建設した地下霊場で、観音菩薩を祀っているものの宗教法人ではない。大正8年(1959)に着工、昭和39年(1963)に竣工したが、計画の半分しか完成していないという。

入場料を払って入洞するが、まずは本洞に入らず、左側にある「奉納所」という穴に入る。

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奉納所の入口におみくじの販売所があり、ここで買ったおみくじを結びつける部屋ということになっている。

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そこは奥行き15mほどの地下室で、奥に如意輪観音と思われる像がひとつ祀られている。

元々は戦時中に防空壕として利用されたときの管理室として造られ、後に洞窟観音の事務所か何かが入っていた部屋なのではないかと思う。

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改めて本洞へ入る。

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入った先は古墳の羨道みたいな通路で奥に提灯が下がっている。

一瞬、これで終わり? と思ってしまうような行き止まり感があるがこれはたぶん演出。

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提灯の奥に本当の洞窟への入口があるのだ。

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ここから細い人工洞窟が始まる。

長さは400mあるという。

観音像は壁の穴に収められているのだ。

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1つ目の観音。

これは通路から少し引っ込んだ部屋のような空間に祀られている。

観音の種類は如意輪観音。彫像したのは、新潟の仏師、髙橋楽山という。

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説明によれば、

人々を煩悩から救い、あらゆる願いを叶える観音菩薩。「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳をもたらす如意宝珠という宝の珠のことであり、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しています。その二つを手に持った観音菩薩ということで如意輪観音といいます。

とのこと。

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そこから先も暗く、狭い通路が続く。

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2つ目の観音は、十一面観音。ここは部屋ではなく、壁の窪みに埋め込まれている。

説明によれば、

苦しんでいる人をすぐに見つける為に、頭上に十一の顔を持ち、さまざまな表情で全ての方向を見守っています。十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)というさまざまな御利益がありとても人気のある観音様です。

とのこと。

以下、順に全ての観音を紹介していく。

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西国三番、千手観音。「西国三番」とあるが、この洞窟観音全体が西国三十三番を再現したミニ霊場になっているわけではない。

説明によれば、

文字通り千本の手を持たれその各々には眼が付いている為千手眼観音とも称されます。これはこの世のあらゆる出来事を見通し、もれなく救済の手を差し伸べる為に千本の手を持たれていらっしゃるのです。普通は16本や42本のものが多いということです。

とのこと。

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一番、楊柳(ようりゅう)観音。「一番」と書かれているが、洞窟観音内でのナンバリングか?

説明によれば、

右手に持つ柳の枝で悪病を祓い清めるご祈祷があります。除病を本誓とする観音薬王観音ともいいます。

とのこと。

このあたりはずっと、部屋ではなく窪みにはめ込まれた観音さまが続く。

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二番、竜頭(りゅうず)観音。

説明によれば、

龍の変化身で慈しみの観音。天竜夜叉に変化した姿で、天空に渦巻く雲中の竜の上に立ち、「竜」は空想的霊獣の中でも王とされ、これを観音の功徳に例えた物です。

とのこと。竜頭観音を含む三十三種類の観音は江戸時代の書物『仏像図彙(ずい)』に書かれていて、そのほとんどは一般人が聞いたことのない観音菩薩だ。

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三番、持経(じきょう)観音。

説明によれば、

釈迦仏陀の説法を弟子にあたかも直接拝聴させる事ができます。岩に坐り手に教典を持ちます。この教典にはsyかの説法の内容のすべてが込まれており声聞を強化する姿を表します。

とのこと。

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四番、圓光観音。

説明によれば、

円光とは頭の後ろから丸く輝く光明をいいます。頭光、頂光、後光、常光などともいわれ、観音の清浄で智慧に満ちた大慈大悲の光を象徴しています。尽きることのない輝きにより生きるものを浄土に導くと云われます。

とのこと。

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圓光観音のくぼみには短い石段がある。

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次は・・・おっと!

ちょっとレイアウトが凝った観音さまが出現。岩山のだいぶ上のほうにいる。

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五番、遊戯観音。

説明によれば、

ゆうげ、ゆうぎとも読まれます。遊戯とは仏の境地に徹してなにものにもとらわれず、自由自在であることを意味します。信ずることにより、高い所から落ちても助かるという話から、ゆったりと五色の雲の上に座って中に浮いている観音です。

とのこと。

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六番、白衣(びゃくえ)観音。高崎観音山の山頂にある大観音もこの白衣観音なので、三十三種の中では比較的知られている部類。

説明によれば、

阿弥陀如来の妻であり、観音菩薩の母といわれる菩薩です。語源が「白い衣をまとう」という意味であり、その為白衣観音と名付けられました。三十三観音に数えられ、中国で特に信仰されました。

とのこと。妻とか母とか、ちょっとヒンドゥ教っぽい。

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七番、蓮臥観音。

説明によれば、

蓮華に坐り完全に横を向いている姿が特徴です。清浄な池の蓮華の上に坐臥することから付けられた名前です。『観音経』に「小王の身をもって得度すべきものには、すなわち小王の身を現じて、ために法を解き」とあります。

とのこと。後半の説明がよく意味がわからない。

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八番、瀧見観音。またちょっとレイアウトが凝った観音さま登場。ジオラマふうで少し部屋のようになった空間に祀られていた。

説明によれば、

深山幽谷の岩上に静かに安座する姿で瀧を見ています。悪意に満ちた火焔が瀧の飛瀑の力によって鎮火し清められることを表しています。

とのこと。

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九番、施薬観音。

説明によれば、

水の辺の岩上に座し蓮華を見ています。観音様は、病人に薬を施すがごとく苦を救うことから、この名が付きました。蓮は苦悩と悟りとの縁を象徴します。

とのこと。

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十番、魚籃観音。これはよく名前を聞く観音さまだ。

説明によれば、

魚売りの美女が観音様であったという中国の説話にもとづくものです。「邪悪な鬼や毒蛇に遭遇しても、この観音を念じればたちまち無害になる」と云われ、特に安産を始め、女性特有の煩悩を除去し、航海の安全をもたらす観音様です。

とのこと。

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同じような窪みと観音さまがいくつも続くので、正直なところほとんどの人は飽きてくるだろう。

でも漏らさず写真撮っていくぞ!

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十一番、徳王観音。

説明によれば、

岩に坐り柳の枝を持ちます。常・楽・我・淨の四徳を備え優れているので、徳王と名づけられました。帝釈天と共に仏法を守護し、釈迦如来に悟りの内容を布教することを勧められたという観音さまです。

とのこと。

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十二番、水月(すいげつ)観音。

説明によれば、

月下の水面に浮かぶ蓮の華弁の上に立って合掌されているのは、月を大自然の象徴とし、一体となっていることを表しています。我執や妄念をみじん持たない自然の移り変わりが悟りの中心であると訴えておられます。水月観音は月であり、月に照らされる姿は救われるとされます。

とのこと。

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十三番、一葉観音。

説明によれば、

水上の蓮華に座る姿は船に乗っているように見えます。水難から救って下さる観音様で、空海、円仁、道元の祖師方が航海中、観音の守護を得たとする説話があります。水難救助、暴風雨の難を避けるとされます。

とのこと。

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十四番、青頸(しょうきょう)観音。なんか・・・苔むしているのか色が緑色っぽい。

説明によれば、

原型はシヴァ神と云われています。シヴァ神には毒を飲んで頭が青く変色した話があります。慈母の如くに、他人のために一切衆生の災難をとりはらい繁栄を与えてくださる観音さまです。

とのこと。

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十五番、威徳観音。

説明によれば、

左手に蓮華をもち岩上より水面を見る姿をしています。観音の威厳と徳望とがまさに天の大将軍の如く優れていることを示し、正しい教えを広める威徳に因んだ名であります。威厳と人徳=威徳。強い意志を持つ様になれるとされます。管理職の助っ人。

とのこと。

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十六番、延命観音。

説明によれば、

岩上に肘をつき手を右の頬につけ、水上を見る姿をしています。20の手を持ち20種の救済方法を用いて、呪いや薬の害から逃れる功徳があると云われます。

とのこと。

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十七番、衆宝(しゅうほう)観音。

説明によれば、

羅刹の難を救う観音様です。衆宝は宝が沢山あるという意味で、財宝を求めて苦境に遭っている時、一人でも観音を念ずるとその場に居合わせる人全員が救われると云われます。

とのこと。

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十八番、岩戸観音。

説明によれば、

毒蛇の住む岩戸に坐ります。江戸時代に日本で創案されたと云われます。大蛇の化身であり、毒蛇の悪気も観音の力で消滅するとされます。

とのこと。

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と、、、ここまで似たような窪みが続いて飽きてきたのだが、突然様相が一変する。

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広い部屋が現われたのだ。

岩山の上に観音さまが数体並んでいる。名前は不明。

私が子どものころに来たときにはこの手前の窪みには水がたまっていて、池のようになっていたような記憶がある。

残念ながら奥は立入禁止。

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次の部屋はさらに複雑なレイアウトになっている。

回遊式庭園みたいに、観音さまの間に石段がある。残念ながらここも立入禁止。

このあたりからが洞窟観音の本領といってもいい。これまでの窪みの連続に飽きてきたところにこのカタルシス。憎い演出だ。

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ここも私が子どものころはこの石段を歩けたような記憶がある。

石段を登って行くと、最上部で隣の部屋の石段へ通じていて、同じルートを戻らずに巡拝できるようになっていたような気がする。そして最深部には換気扇があり、洞窟の裏側に出る非常口みたいなものがあった。

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あまりにもここを登りたいと思ったせいで、子どもながらに夢を見てしまい、現実の記憶との区別ができなくなっているのかもしれないが・・・。

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この空間だけで、入場料を払った価値がある。

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これが立入禁止じゃなくジオラマの中を歩けたらいいのにな・・・。

公式サイトを見てみると、特別公開日があって、非公開部分を見られるというが石段を登らせてくれるのだろうか。

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大空間を過ぎると、ちょっとおまけのような感じになってくる。

これは馬頭観音。

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そこそこ大きな部屋があり、ここは入れるけれど、先ほどの立体的レイアウトを見たあとではちょっと物足りない。

ここに祀られているのは(しょう)観音。

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説明によれば、

全ての観音菩薩の基本形。別名、観音菩薩とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ、日本でも多く信仰されました。苦しんでいる物を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされます。単独で祀られることも多いが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたもの。

とのこと。

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この先はルートが左へ折れている。

本来はさらに洞窟を掘り進める計画だったが、中断になり出口を作ったことがわかる。

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未完成部分に祀られている釈迦如来。

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出口が見えてきた。

観音山のこの周辺には坑道掘りの亜炭鉱山がたくさんあったので、坑道を掘る技術者はたくさんいたであろうし、それらが参考になってこの施設が誕生したのではないかと思っている。

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洞窟の中が涼しかったので、出口を出ると少し蒸し蒸ししていた。

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出口から入口へは少し階段を下りるようになっている。

関東の地下霊場としては大船の瑜伽洞と双璧をなす規模であり、地下霊場が好きならばぜひとも訪れたい場所だ。

(2016年05月08日訪問)