旧倉渕村は高崎から草津方面への短絡路として頻繁に利用する山里だ。
現在は高崎市倉渕町になっているが、文化風土は独自であり、その地域性を希釈した平成の大合併は本当に罪深いと思う。
倉渕には双体道祖神が多く、それはおそらく長野県の上田地方から街道に沿って伝播したものだろう。その点では吾妻地方の旧六合村や中之条町との共通する文化圏といえそうだ。
旧倉渕村の骨格ともいえる草津街道(国道406号線)に面したところに落合の道祖神と呼ばれる有名な交合双体道祖神がある。
久しぶりに立ち寄ってみた。
若い頃、たしか1999年ごろ民話サークルで旧六合村合宿をしたときに、六合村の双体道祖神とあわせて一度訪れて以来だ。
この道祖神は以前は200mほど西に置かれていたのを昭和35年(1960)に現在の産泰神社参道に移設したものだそうだ。確かにちょっと取ってつけたような場所に置かれている。
道祖神はその名前の通り、道路のT字路などの特定のレイアウトに置かれることが一般的で、神社境内はちょっと雰囲気が違う感じがする。
あまりにもあらわな像だからひと目に付きにくい場所に移動したのか。
群馬県の交合道祖神は旧六合村を中心にいくつかあるけれど、この造形は県内でも1~2を争う赤裸々なもの。
年号は宝暦10年(江戸中期)。さながら春画の立体化であり、当時としても刺激的なものだったろうと思う。
産泰神社の参道にはほかに線刻の馬頭観音も置かれている。
産泰神社にもお参りしていこう。
石宮だが、巨大な向拝を持つ同道たる社殿。
賽銭箱も石製。
石宮の左側にも何かある・・・
たぶん陰陽石だ。
(2011年05月04日訪問)
