富沢家住宅のある大道という集落の中央に稚蚕共同飼育所がある。もちろんいまは使われていないが。
稚蚕共同飼育所とは、集落の養蚕農家が組合を作り、蚕の1齢~3齢を共同で飼育した施設である。「組合を作り」と言うけれど農家が結束して施設を建てたと言うよりも、行政から補助金を出すために組合を作るよう指導されたというのが実態だったのではないか。
この飼育所の組合員は16戸ほどで、5~6の作業者が100箱前後の稚蚕を飼育していた。蚕期は春、初秋、晩秋の3回。
飼育所付近の桑園の様子。
きょうは5月7日だが辺りの桑はまだ掃き立てに使える状態ではない。記録によればこの飼育所の壮蚕の掃き立ては5月26日だったということなので、平野部とは2週間遅れた春蚕の掃き立てである。
飼育所の形態はブロック電床育。
写真の両端に床の色が違う場所があるが、この左右にそれぞれ6室のムロがあったと思われる。その後、地域の作業場として改装されてムロは撤去されたのだろう。
建物の右側に飛び出している白い部分は元貯桑場で、おそらく増設されたものではないかと思う。
飼育所の奥側の挫桑場と呼ばれる部屋。写真右側が飼育室で、左側の畳の部屋が管理室だったろう。
挫桑場は、桑の葉を刻んで準備をするためのスペースで床張りのことが多い。地下を貯桑場として利用するためだ。
飼育所の左の敷地は公民館かなにかのようだが、その前はおそらくバスの転回所。
これは2010年1月(6年前)に訪れたときの様子。
いまと様子はほとんど変わらないが、前に置いてあるサンバーの色が水色だ。
いま周辺は山桜の咲く春の野。
この付近にも広い桑畑が残っている。
すべて彼岸切りだ。
飼育所の前にあるバス停、兼、消防団倉庫。
倉庫の中の様子。
法被が掛けっぱなしになっていた。
道からは妻兜造り+榛名型突き上げ屋根の養蚕農家が見えた。
突き上げが南側と北側の両方にあるという構造。
(2017年05月07日訪問)