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たくみの里へ向かう途中、
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県北地方の大きなお寺を上げるとすると、五指には入る立派なお寺だ。個人的には川場の吉祥寺と双璧をなす禅寺だと思っているが、吉祥寺は近年極度の観光化が進み、寺院というよりは有料日本庭園みたいな感じで団体客を乗せた観光バスがひっきりなしなのに対して、ここ泰寧寺は昔ながらの田舎の禅寺という雰囲気だから落ち着いて参拝できる。
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さて、このお寺の参道には砂防堰堤がある。言ってみれば小さなダムのようなもの。参道はこの堰堤の上を渡って続いていく。
堰堤は昭和29年(1954)年に作られたものだが、およそお寺の風情と似合わないし、しかも堰堤そのものだけでなく周囲広範に施された力任せの土木工事の跡も荒々しいままで、私が子どもの頃はひどく荒れたイメージで困惑したのを覚えている。
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ただその荒れた感じも、数十年の時間を経て樹が茂って落ち着いた感じになってきた。
ダム湖側は飛び石が置かれ、禅寺の放生池的な機能になっている。
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池のほとりには弁財天が祀られていた。
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砂防堰堤の上を通り、境内へと入る。
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そこからは山門の二重門に向けて、立派な石畳と石段が続く。
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山門の三間三戸二重門。
江戸中期の建物とされ、県文に指定されている。
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山門は案内板によれば、江戸中期(1775年)の作で県文。
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案内板によれば「格調高い禅宗様式」とある。しかし台輪など一部に唐様が見られるが、斗栱は和様を中心としていて全体としては折衷様式と呼ぶべきものだ。
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二重門で気になるのが、2階への登り方だ。楼門では2階の欄干へハシゴみたいな鉄砲階段を付けることが多いが、二重門では屋根が邪魔をするし、階高もあるためため鉄砲階段が付けられない。多くの二重門は1重目の屋根裏の中に踊り場を設け二重三階のような造りになっている。
だがこの門は裏側の勾欄が切れているので、そこから裏側の崖に橋が架かっていたのではないか。
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山門を上った右手には白山堂がある。
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内部の厨子。
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本堂。
静岡の可睡斎の本尊を分霊した寺という由緒をもつ。
向拝が建物のセンターになく、ずれているのは禅宗本堂の特徴。
内陣の欄間と須弥壇が桃山時代のもので県文。
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禅宗の本堂では建物の内部に土間があり、建物の中に上がり框があるものが多いが、この本堂は向拝内に式台がある。
それが原初の形なのか、向拝を含めて後補なのかはわからない。
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向拝は格天井で天井絵がある。
これ、実は桃山時代の本堂の廃材の再利用だったりしないよね?
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ガラス戸から内陣方面を覗いてみたけれど、須弥壇や欄間は遠くてよくわからなかった。
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本堂の右側には玄関。
そのさらに右側には庫裏がある。
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庫裏は切妻で化粧貫が美しい禅宗らしい庫裏。
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その前には袴腰鐘楼。
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境内にはほかに民家風の建物がある。
もしかするとお寺と関係のない民家なのかもしれない。
(2017年05月07日訪問)