三富から川越方面へ向かうと、街道は関越道の下をくぐり、その先はあまり街道らしくない畑の中の道になっていく。
この交差点に「
これがその案内板だ。
「時計台」とは当サイトの用語でいうと「辻時計」のことである。そんな些細なものに看板を立てるなんてマニアックすぎるが、それだけ地元に愛されていたんだろう。
説明文を見ると、御大典記念の辻時計だったようだ。昭和2~3年に作られ、昭和23年(1948)ごろまで使われていたという。辻時計は御大典記念で作られたものが多くブームがあったのだ。
ただ、使われなくなってから、いつごろまでここに放置されていたかは書かれていない。
現在の関越道の前身は東京川越道路という有料道路で、昭和42年(1967)に着工しているから、その工事が行われるまで残っていたのではないかという気がする。
こんな姿だったようだ。
簡単に設置できそう。
自分もいつか家の裏にでも辻時計を建ててみたいものだ。
(2022年04月12日訪問)