上富浅間神社

神社というよりも富士塚が主体。

(埼玉県三芳町上富浅間神社)

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上富のけやき通りを川越方面へ少し行ったところの道端に富士塚がある。

何度も通ったことのある道なのに一度も立ち寄ったことがないのは、車が駐車しにくいからなのだ。

きょうは北側の中古車屋さんに断って、会社の前の道に車を停めさせてもらった。

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富士塚は県道の歩道のために少し削られているが、全体的にはよく原形をとどめている。

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入口は南側になる。

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案内板には、

浅間神社は、富士山への信仰を背景に、富士塚を伴いつつ勧請されてきた。この社は、天保四年の勧請と伝えられ、八軒やをはじめ近隣の富士講の人々によって信仰されてきたものである。講では、富士登山に代わる富士塚への登拝、富士吉田の御師による配札、富士山への代参が行われる。

とある。係助詞に読点打ってから複文を始める癖のある文体、、、すごく読みにくい。

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こちらが浅間神社の社殿。

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社殿の内部。

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富士塚は高さ5~6mくらいか。

山体は土坡でできていて溶岩などは積まれていない。

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入口付近にあったサルの石像。

サルというと山王信仰や庚申信仰がまず思い浮かぶのだが、なぜか富士塚にもサルがよく見られる。富士山が出来た日が「申の日」だったからというような話も聞くが、無理があるよね。どうもよくわからない。

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小室浅間神社と書かれた板碑がある。

富士吉田にある神社なので、富士山の北面にあたるが、この石碑は南側にあった。

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はっきりした登山道はないのだが、踏み分け道があるのでそこを登っていく。

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登山道はかなり急。

滑らないように気をつけながら登る。

市街地の富士塚が危ないからと立入禁止になっていくなかで、ここはまだ登れるのがウレシイ。

いつまで登れるかわからないから、登れるうちに登っておきたい。

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山頂には石祠と食行身禄(じきぎょうみろく)の石像。

弥勒は江戸初期の富士講の行者で、入定したことで多くの信者を集めた、富士信仰の中興の祖ともいわれる人物。

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石祠の中にいたのは大日如来。垂迹は浅間大神。

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山頂からの風景。

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下山路は北側に降りてみた・・・かなり強引だけど。

北側にも小さな祠がある。

(2022年04月12日訪問)