渋沢平九郎自決の地とされる場所から、越辺川を300mほど下ったところに全洞院というお寺がある。
平九郎は自刃したあと直ちに新政府軍に斬首され、その首は越生宿に晒された。
そのときの胴体を埋葬したのがこの全洞院である。
寺は越辺川の岸辺にあり境内が北向きのためか、どことなくジメッとした感じ。
現在は無住で、庭木などもあまり手が入っていないため余計にそう感じるのかもしれないが。
本堂は閉まっていた。
本堂の周りに樹が茂っているのでとにかく本堂の全景は撮影しにくいが、右側に庫裏(炊事場)がついているようだ。
本堂の左半分は方丈か客殿のような、別の部屋になってそう。
その下部は懸崖造りになっている。
平九郎の墓は本堂の右手の墓地の中にある。
墓地の一番奥に看板が立っているので、一番奥の無縫塔がそうかと勘違いして写真を撮っていたが、帰りがけに平九郎の墓石は少し手前にあることに気付いた。
看板の位置が非常に紛らわしいので注意したい。
村人は討ち死にした侍の出自は知らなかったが、その壮絶な最期を伝え聞いて「
明治6年に渋沢栄一はこの場所を訪れ、平九郎を渋沢家の墓所である谷中に改葬した。いまこの場所に残る墓石はそのとき渋沢栄一の命によって建てられたものだ。
墓所からみた全洞院の全景。
(2021年10月06日訪問)