栗山から小川町市街へ向かう。
この穿入蛇行は強烈なので、東秩父村方面へ行くときとても印象に残る場所だ。
その環流部分を走っていると、川の中に橋脚があった。
これ、建設中の橋ではないよ?
流れ橋なのだ。
橋桁が堤防よりも低い位置にある橋は、増水時に橋桁まで水が掛かる。このような橋を広義に沈下橋というが、その中で橋桁が橋脚に固定されておらず、増水時に橋桁が流されるように作られているものを当サイトでは「流れ橋」と分類している。
これは流れ橋としてはかなり立派な部類。しかも新しい。
ここまできちんとつくるのなら抜水橋にしてもよさそうなものだが。
ここは館川と槻川の合流点でたびたび水害が発生するのだろう。変にしっかりした橋を造るとそこに流木などがぶつかってさらに予測不能な被害が起きることを懸念して、川の流れに影響しない構造にしたのだろうか。
いま現在、橋桁は流されている状態だった。
橋桁は川岸にワイヤーでつながれているので、流れ去ることはなく下流に打ち上げられている。
橋へ続く階段の途中に1本引っかかっていた。
残りは少し下流の河原にまとまって転がっている。
川の流れが急な場所に架橋されているうえ、橋脚がやや高いので橋桁を戻すのに手こずっているのだろう。
小型のユンボでも持ってこないと、橋桁を載せられないのかもしれない。
そこから少し上流にも小さな流れ橋があった。
こちらは橋桁は一枚板で、すでに修復が済んでいる。
やはり川岸にワイヤーでつながれている。
手すりなどはないので渡るにはちょっと勇気がいる。
板の小口部分から痛みはじめている。
何年くらい持つのだろうか。
橋の上から車道方向を見たところ。
橋脚の一部は鉄パイプでできていた。
その流れ橋から少し上流に堰がある。
石碑が立てられていて、それによれば、この堰は明治44年に腰越用水の取水のために建造され、水利組合の管理だった。だが水田の縮小などにより、管理が自治体に移って現在に至っている。
昭和49年9月1日に台風による大きな被害が出て、激甚災害に指定され国庫予算により修復されたという。
上流側の平らな石板部分が明治の部分で、下流側の消波ブロックみたいな部分が昭和の改修ではないかと思われる。
橋ではないけれど、消波ブロック部分は徒歩で渡れる。
なかなか見ごたえのある堰だと思う。
(2017年11月23日訪問)