妻沼聖天の最大の見どころは、本堂を彩る彫刻である。
拝殿の木鼻、手挟み、蟇股あたりに彩色された彫物が見える。
江戸中期の造営で、平成24年(2012)に国宝に指定された。
向拝の欄間彫刻。
龍、楽器を演奏する人、囲碁を打つ人など、この寺の彫刻に登場するモチーフが拝殿の正面に配されている。
だが、最も粋を凝らした彫刻は、正面からは見えない本殿の外周にある。
本殿の周りは瑞垣でよく見えないから、近くで見るには入場料を払って瑞垣の中へと入る。
入場料は700円でちょっと高い気もするが、毎日参拝するという場所でもないのでいいかな。
これが本殿の彫刻。小日光と呼ばれるだけのことはあり、目を見張るきらびやかさ。
ただ、これを見て「こんな素晴らしいものが残っていたのだから国宝になるのもわかる!」などと納得するのはちょっと待ってほしい。きらびやかだから国宝になったのではなく、国宝にするためにきらびやかに修復したのだ。前ページの総門の彫刻(国重文)を見ていだたきたい。改修前はあんな感じだったのだ。
以前に来たときにはまだ彩色されていなかったが「これは国宝に指定可能だね!」っていうような眼力は私には微塵もなく、「よくある装飾過剰な神社」くらいに見えていた。昔の様子は熊谷市のサイトで見ることができる。➡ 修復前と比べてみよう
大きな彫刻は本殿の大羽目という壁面を飾っているが、それだけでなく高欄下の斗栱や欄間にもコマゴマと彫刻が多い。地表を歩く参拝客へのサービス的な造りといっていいだろう。
これから彫刻を細かく紹介していくが、パンフレットにすべての解説があるわけではないので、何を表わす彫刻なのはほとんどわからない。こうした彫刻は美術品と違って、見る人の自由というものではなく何らかの故事に基づいているはずだ。それゆえ解釈には正解があるわけで、全部解説してほしいところだ。
普段はボランティアのガイドさんがいるようなのだが、年末でお休みだった。自分のペースで見ていけるから、それでもいいか・・・。
尾垂木の龍は「まさにこれが日本人が想像する龍!」という感じのすばらしいバランス感覚。
巻斗の上にサルがいる。
こちらは欄間彫刻の猫とボタンとアゲハチョウ。
左甚五郎の作といわれている。
ただし、日光東照宮の眠り猫が作られたのは江戸初期。この本殿が造られたのは江戸中期なので同一人物の作ということはあり得ない。そもそも左甚五郎自体が実在したかどうかはっきりしない伝説上の人物だ。
小口階段の下に彫られたリス?
これは川に落ちたサルを助ける鷹。
パンフレットによれば、サルは人間を表わしてて、木登り上手で慢心しているサルも木から落ちることがあり、そういうときにもご本尊は救いの手を差し伸べてくれるという場面だとのこと。
サルと鷹の彫刻は引き違い戸に彫られていて、反対の戸にはこの救出劇を見てびっくりしている別のサルが描かれている。
他の彫刻はほとんど物語がわからない。だが、壁面は七福神をモチーフとしたものではないかという気がする。
これはツルとカメの前で踊っている大黒さまかな?
こちらはツルに餌を与えている寿老人かな?
背後の脇障子に彫られているのはキジの雌。
反対側は雄。
大きな袋を引く神様たちと、その上に乗って天蓋を掲げているのは福禄寿かな?
碁を打つ布袋さまかな?
米俵を運搬する恵比寿さまかな?
すごろくに興じる辨財天と毘沙門天かな?
不老長寿の実が採れました、みたいな?
唐破風の下の欄間には
建物の
こちらは大瓶から水があふれ出ている。
周りの人が木槌を持っているようにも見えるから、瓶を割っているところかもしれない。
縋破風の下の欄間には鳳凰。
ここからは高欄の下の小壁の彫刻たち。
これは一番よくわからなかったもの。子どもたちが巨大な餅でも運んでいるところか?
相撲をとる子どもたち。
獅子舞の練習をする子どもたち。
太鼓のリズムで踊る子どもたち。
川で魚捕りでもしているのか。
子とろ子とろ遊び。
串馬で遊ぶ子ども。
凧揚げをする子ども。
闘鶏をする子ども。
高欄の下はおそらくすべて子どもの遊ぶ姿だろう。
私自身あまり社殿彫刻には興味ないのだけれど、今回はけっこう頑張って写真撮った。全彫刻の半分以上は紹介できたのではないかな。
(2015年12月30日訪問)