岡谷市加茂町の名前の起源でもある、賀茂神社を紹介しておこう。岡谷市街で鎮守の杜がある数少ない神社のひとつだ。
南側に50mほどの短い参道があるが、参道の先はそれ以上伸びておらず、街道でもない狭い道に面しているだけ。元々、田園の中にぽつんとあった神社が住宅街に飲み込まれたという立地なのだろうか。
参道の途中にはアーチ看板があり、行灯か提灯でも取り付けられそう。
参道の途中、左側に稲荷社がある。
神社の末社ではなく、駐車場のところにあった家の屋敷神か。
祠に見えるのは実は覆屋で、その中にスギの切り株があり洞の中に小祠が収められている。
参道の左側は忠霊塔公園になっている。
狛犬は焼き物で鉄網で覆われている。
忠霊塔公園の遊具はブランコと滑り台、スプリング付きライド。
二の鳥居があり、ここからが境内になる。
案内板があり、日清日露戦争でこの地区から出生した者に戦死者が少なかったことから武運長久の祈願で参詣者が多かったという。
鳥居の右側には水盤舎。
参道の途中、左側にはお百度カウンターがある。
玉が25個あるので、上下を1往復させれば100回になる。またお百度参りをするときのチェックポイントが丁寧に図示されている。
こちらがお百度参りの起点となるお百度石。
お百度石の奥のほうには公衆トイレがある。
薄暗いようなところにあるが、そこそこきれい。
二の鳥居をくぐって境内に入ると大きな灯籠がある。
左側には社務所。
赤い瑞垣で囲まれているのは、ハリギリの巨樹。
市指定の天然記念物に指定されている。
境内はうっそうとした森で、ほかに、スギ、ヒノキ、ケヤキなどが茂っている。
ただ、枯れ枝が落下することがあるのか、境内には至るところに「枯れ枝落下注意」の看板が立てられており、ロープも張られている。
事故でもあってクレームを入れてきた市民がいるのかな。
拝殿は入母屋造りで、左右に片拝殿を伴った諏訪造り。
つまり、諏訪大社の社殿配置と類似している。
「諏訪造り」については、ネット上に「幣拝殿の左右に片拝殿をそなえ本殿を持たない独特の形式」というコピペが多数存在するが、当サイトでの諏訪造りとは「拝殿の形式の一種」であり、本殿の有無は関係ない。
つまり、拝殿の左右に片拝殿があることのみを持って、「諏訪造りの拝殿形式」と表記する。「割拝殿」とか「縦拝殿」といった拝殿の分類なのである。
拝殿の内部には随身がいる。
唐破風の棟飾りには、賀茂神社の二葉葵の御神紋が金色に輝いている。
中央に花のある立ち花葵というタイプ。
拝殿の後ろ側は幣殿を経て本殿になっている。
本殿があっても諏訪造りなのだ。
本殿は覆屋で見えないが、たぶん流造りじゃないかな。
覆屋が流造りだし、上賀茂/下賀茂神社も流造りなので。
拝殿の左側には末社の天満宮がある。
もともとは境内の東側にあったが、平成2年(1990)に現在の位置に遷座させたという。
拝殿の右側には末社や石神などが並んでいる。
赤い小さな小屋は小札納所。
内部には郵便ポストみたいな箱が入っている。
注連柱があるのは、叶石という岩座。
お百度参りのチェックポイントにもなっていて、神社が創建された当初からあるものだという。
このような十字型の注連柱、初めて見た気がする。他にもあるのかな。
その周囲には大きな庚申塔。
大きな文字が彫られた巨石の庚申は諏訪地方に多い。
八神殿。
神産日神、高御産巣日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮賣神、御食津神、事代主神の8柱を祀る。
八神殿の横にはいくつかの文字碑。
一番左は「津島神社・蚕玉神社」とある。
「蚕玉神社」は養蚕の守護神。
その右側にある剥落した石神はもしかしたら絹笠明神か金色姫といった蚕糸業の守護神かもしれない。
本殿の右側には「増澤牧祝殿」という扁額のついた末社がある。
「増澤牧」は「増澤一族」というような意味で、この地域の増澤姓の人々の守護神と思われる。
諏訪地方ではこうした姓ごとの礼拝所をたまに見かける。
左から、御鍬大神、疱瘡神社、稲荷神社。
境内の北東隅に少し盛り上がった塚のような場所があり、「平和の祈り」という碑があった。
ここが元、天満宮があった場所か。
名称不明の末社たち。
駒嶽山神社、御嶽山神社。
その周辺には普寛霊神、摩利支天、延命霊神といった石碑が見える。
一種の御嶽塚か。
鳥居や石灯籠のついた末社。
稲荷社かな。
(2022年08月03日訪問)