豊音寺を後にして、駐車場へ戻ろうとして歩いていると、路地の奥に小さなトンネルが見えた。
路地の入口には「廉太郎トンネル」という案内板が出ている。もう一刻も早く宿へ向かわなければならないし、ちょっと戻る方向になるのだが、急いで見ていくことにした。
竹田市の旧市街は盆地のような谷地のような地形なのだが、市街地内の住宅と住宅のあいだみたいな場所に小さな丘陵がいくつか残っている。
そうした小さな丘陵は1/25,000地形図では確認できないほど小さな山なのだが、これはその丘陵を貫通したトンネルなのだ。
トンネルの名前は「溝川トンネル」。
もともとは明治中ごろに掘られた素掘りのトンネルだったのを、観光化のため昭和62年にこのような風情のないコンクリ補強がされたようだ。
トンネル東口の左のほうへ行くと、勢いよく水が流れ出ている穴がある。この穴は造り酒屋が水を引くために作ったものだという。
すごい水量で湧き水の可能性はなく、用水だと思うのだけど水源がよくわからない
トンネルの西口。
トンネル西口を出たところには武家屋敷がある。
その右隣りは作曲家、滝廉太郎が2年間住んだという屋敷がある。ここももと岩瀬家という武家屋敷で、現在は資料館として見学できる。
廉太郎の実家、滝家は岡藩の有力な家臣で竹田では有力な家だった。いまでいう「実家が太い」というやつ。明治時代のクリエーターってほとんどが実家が太いよね。
YouTubeに水路のトンネルの中に入ったという動画がある。びっくりするような構造になっている。
(2011年08月07日訪問)