
大洲市街の見どころというと、たぶん天守閣が再建された「大洲城」と、明治時代の豪商が建てた別荘「臥龍山荘」の2ヶ所だろうと思う。
臥龍山荘は旧市街の東端、肱川の崖の上にある。

臥龍山は安土桃山時代には城主によって庭園が造られ、以後、大洲城主の遊覧の地として使われてきた。
明治維新後、一時荒廃していたが大洲出身で神戸で成功した木蝋商人が買い取って別荘として整備した。
以後、その豪商の子孫が使用したり居住してきたが、昭和53年(1978)に市に寄贈され、一般にも開放された。現在主要な建物は国重文に指定されている。

肱川に突き出た半島のような山で、左側の独立した小さな山が蓬莱山右側の大きな山体が臥龍山(?)かな。
もとからの地形だと思うが、石垣を積んで外に対しては偉容を見せつけている。

入口はとても狭い。豪邸というのではなく、あくまでもひなびた別荘として作られているからだ。
入場料は500円だったかな。

10年の歳月と私費を注いで建設された別荘だが、その目指すところは
徳島だと美郷村の奥の方とか、神山、上勝の上流部に行くとこんな山家がけっこうある。その山家を町中に再現するために修景や借景で途方もないコストをかけることに、ちょっと釈然としない気持ちも湧くけれど、とにかく「お金があるってすごい」という素直な畏敬の念を禁じえない。

草屋根、土壁、木と紙でできた家と、狭い庭の緑の美しさ。
この美が、つつましい暮らしの中から生まれるのではなく、膨大な財力によって現出していることに、私は

主要な建物は3棟あり、ここはメインとなる居宅で「臥龍院」という。
農家をイメージしているが、使われている木材などは高級で、美の結晶といってもいい。

手水鉢ひとつをとっても、宇宙なのだ。

日当たりの悪いデッドスペースも坪庭になっている。

有料の庭園でも建物に入れないことが多いが、ここは建物の中を歩くことができる。

建物の中から写真を撮れるのがうれしい。

臥龍院を出て、次の建物へ。

「知止庵」という茶室。
もとは湯屋だったのを、終戦後に茶室に改装したもの。
GHQによる占領が終わり、まだ混乱も続く時代に、神戸から疎開してきた豪商は茶室を建てていたのだ。

この近くには氷室もある。
夏に氷を使うための保存庫だ。

これは横井戸かな。

続いて、3つ目の建物「不老庵」。

こちらも茶室だ。

肱川の崖線上に懸崖造りで作られている。
障子を開けると大きくカーブする肱川を一望することができる素晴らしい立地。
逆にいえば、街道や肱川を往来する船からも目立ち、臥龍山荘のシンボルともいえる建物だ。

濡れ縁の端はまるで未完成のように雑に処理されている。
これもわざとなのだろう。

ここを歩くと、落ちるよ。

濡れ縁から下を見ると淵になっている。

川の流れを我が家の庭の池として借景しているのだ。
さらに財力があれば、対岸の土地を細く買い上げて林を作って家並みを見えなくしそう。埼玉にそういう庭園がある。

あ、沈下橋がある。
あとで行ってみよ♡

入場料は取られるものの、庭は美しく、建物の中にも入ることができ、非常に満足度の高い庭園だった。

沈下橋側から見た臥龍山と蓬莱山の風景。
懸崖造りの茶室は、他の観光地だと立入禁止ってパターンになりそうだが、ここは観光客が入れるのがすばらしい。いつまでも続けてほしい。

(2011年10月09日訪問)