大洲城は大洲市街地の西半分を占めている。
文化財の案内図を見ると、内堀、外堀があったようだが、現在は埋め立てられて更地になっているので街を歩いてもその遺構は感じられない。
そうした城の縄張りのうち、唯一はっきりとわかるのが三の丸南隅櫓という櫓だ。
まずそこに行ってみた。天守閣からは直線で300mは離れているから、自家用車で観光する場合は車で移動したほうがよい。
文化財の案内図を見ると、現存する建物は
三の丸南櫓の一角は大洲高校の運動場の敷地になっていて、広範囲に石垣が残っている。
大洲城がとても大規模な城だったことがわかる。
南櫓の案内。
もとは明和3年(1766)の建築で現在残る大洲城の建築としては最も古い。というのも、大洲城の他の建物は安政の大地震で倒壊し、そのときに建て替えられているからだ。
南櫓は国重文で、昭和40年(1965)に解体修理されている。書かれてはいないけれど、50年も経っているので、その後も細かい補修はされているような気がする。
内部の材木はなるべくは再利用されているだろうけれど、土壁や瓦などを再利用するとは思えないので、見える部分は完全に昭和の建物と言っていい。
南矢倉の隣には藩主の子孫の住宅が見学できるようになっていた。
建てられたのは大正時代。
南櫓から天守閣を望む。
このアングルが城の規模を想像しやすい。
大洲城天守は4重4階、2つの子櫓をもつ連結型の構造で、日本人が「お城」にもつイメージをシンプルに体現した姿をしている。
天守閣は7年前の2004年に再建された真新しい建物。
ただ、再建される以前の天守台の姿がどんなにインターネットを探しても見当たらないのはなんでなんだろう? もしかして森や薮に覆われてどうにも写真が撮れなかったとか、立入禁止だった??? 2004年にはデジカメも普及していたし、blogという仕組みがあって個人が気楽に写真付きの日記を書くことができたのだから、一人くらい旅行記を書いていてもよさそうなのだけれど。
これは、大きな謎というか、インターネット上にある情報が一過性のアブクみたいなものである可能性を示しているのではないか・・・。
続いて、
こちらも国重文。
大洲城は北側を肱川の崖線に接していて、肱川が外堀の役目を果たしている。
こちらの櫓も昭和34(1959)に解体修理されているので、新しく見える。
しかも肱川の堤防がかさ上げされたのにともなって、石垣も積み足されている。石垣の色が違っている部分は昭和に追加された部分なのだ。
この石垣には穴門みたいなものがある。
もちろん現代に作られた道路のための門なのだけれど、これ、結構イケてない?
すっごく城塞っぽいのだけど。
水門を内側から見たところ。
石垣の裏側はコンクリの堤防になっていて、景観としてはかなり微妙。
よく国重文に指定できたな・・・。
河原側から見た苧綿櫓。
石落としが1ヶ所しかないので、とってつけたみたいな印象になってしまっている。
続いて、本丸のほうへ行ってみよる。
本丸のふもとには下台所という建物が残っているというが見当たらなかった、、、と思ったら、矢印の建物がそうだった! 市民会館の用具倉庫だと思ったョ。
天守台までは緩やかなスロープで登っていく。
ここは元々このように緩い斜面か、ごく緩い石段だったようだ。
斜面は折り返しながら登っていくので、斜面を挟むように細長い櫓があって、通路に向かって鉄砲などを射掛けられたのだろう。
天守台まで上がってきた。
手前の櫓は高欄櫓といい、バルコニーが付いている。
バルコニー付きの櫓というと松本城の「月見櫓」がデザイン、語感ともに強烈で、多くの日本人の魂に刻み込まれているんではないだろうか。当サイトでも寺社建築に対して「観月殿」という索引を用意していて、月見ができるかどうかは建物鑑賞の重要なポイントになっている。
もちろんこの高欄櫓も月見が可能だし、実際そういった目的の櫓なのだろう。
天守台の下は井戸丸という曲輪になっていて、大きな井戸がある。
本丸へ上がる。
手前の櫓は台所櫓といい、現在の入場口になっている。
台所櫓と高欄櫓はいずれも国重文。
台所櫓の中へ。
昭和45年(1970)に解体修理されたというが、もしかして材木もだいぶ入れ替わってる???
台所櫓は2重2階だが、2階は非公開。
続いて、高欄櫓へ。
こちらも2重2階だが、2階へ登ることができる。
高欄櫓の隅には石落としがある。
いつも思うんだけれど、石落としって実用性あるのかね。
2階へ。
バルコニーへは出られない。
アクリルパネルでふさがれていて風情がない。
続いて、天守閣へ。
天守閣は4重4階で、平成16年(2004)に木造で復元された。
内部に吹き抜けの空間があるかなり面白い構造。記録を元に復元したもので、元々このような造りだったらしい。ただ、この構造が災いして天守閣は倒壊してしまった。再建にあたってはその脆弱性は回避するような強度になっているのだろう。
千鳥破風の内部。
小さな鉄砲狭間がある。
秘密の小部屋って感じでこういう構造好きだ。
天守閣の最上部へ。
窓は少なくて見晴らしはいまひとつ。
最近、知人がこの天守を訪れて「新しくてイマイチだった」という率直な意見を書いていたけれど、実を言うと私も同じような印象だった。確かに構造的には面白いんだけど、ピカピカだなぁっていう印象が強すぎる。
文化財建築を修復するとき材料をエイジングするので、城の再建もエイジングしたほうがいいんじゃないだろうか。現代では建物内で火を使うこともないから、これから100年たってもあまり黒ずむこともなく、ピカピカのまま残りそうだ。
(2011年10月09日訪問)