野村町の養蚕農家②

四国山地の山深い村にある養蚕農家。

(愛媛県西予市野村町予子林)

松下家では5齢飼育の真っ最中で、訪問客の相手はしていられないと言われ、代わりに大和田家という養蚕農家を紹介された。

住所だけを教えてもらい、大和田家へと向かう。そこは石鎚山から四国カルストへとつながる四国山地の人跡もまばらな奥山だった。

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私は徳島在住で、秘境といわれる祖谷や県西のソラの集落をたくさん見てきた。その徳島県人が「この先にまだ人が住めるのか?」と心配してしまうような急斜面と深い谷が続いている。

四国山地を訪れたことがない人がこの山を見たら、まずそれだけで人生観が変わってしまうようなカルチャーショックを受けるだろうと思う。

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県道から向かいの谷を見上げると、尾根に小さな集落が見えた。地滑りによってできたわずかな緩斜面に人が住み着いてできた集落だ。谷が深すぎて、谷底では日が差さないのでこうした山の上に人は住み着いたのだ。

四国の奥山ではかつては焼き畑で麦や大豆、雑穀などを作ってほぼ自給自足の生活をしてきた。近代になってコウゾ、葉タバコ、養蚕といった換金作物が作られるようになった。これから向かう大和田家はそうした四国山地に残った最後の養蚕農家の1軒ということになる。

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途中、台風の被害で県道が通れず迂回しているうちに場所がよくわからなくなったが、人に訊いてなんとか大和田家のある集落へたどりついた。

ここも基本的には地滑りの跡だと思われる。

少ない平地のかなりの部分が桑園で、面積は40アールくらいありそう。

さっき県道から上のほうに見えた谷向こうの集落が下に見える。だいぶ標高が上がったのだ。

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畑には桑園のほかにはソバ、里芋、小豆など自家消費用と思われる多種の作物が作られていた。

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奥に見えるのが大和田家。松下さんの紹介だと伝えると、桑園や蚕室を見せてもらえることになった。

手前の長いグレーの建物が蚕室、ベージュ色の壁の建物は納屋で2階が上蔟室になっている。

家の真ん前が桑園になっているのは、愛媛で訪れた農家では初めてだ。これまで見た農家はいずれも桑園まで車で移動しなければならない距離があった。

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晩秋蚕で使った桑は60~70cmほどの長さが残っていて、これは来春の最初の蚕期で使うのだ。これから冬場に無駄な細い枝を落とす剪定作業をするのだという。

桑の仕立ては根刈り。地面すれすれのところで株の高さを押さえ込む仕立て方だ。

畝間には蚕が食べ残した廃条が敷き詰めてある。養蚕の廃棄物を桑畑に入れるのは、蚕の病気が畑の土に入る可能性がありあまり良いことではないとされているが、たぶん大和田家ではずっとこの方法を続けてきたのではないかと思う。

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四国山地は外帯、つまり基本的に堆積岩の地質で石の山だ。

畑の土といっても岩が砕けた石だらけの畑だから、何百年ものあいだ、茅や落ち葉、小枝などを置いて土壌を増やす努力を続けてきたはずだ。それとても斜面の畑であれば雨で流亡する。腐る前の形を保っている小枝は桑園の土壌を守るために有効なのだろうと思う。

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蚕室を見せていただく。

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蚕室は下部がタタキ土間。

飼育台は机上式だが、床から立ち上げるのではなく、天井まで伸びた単管の柱に桁が固定されている。そのうえで、桁に竹を並べシートを敷いて飼育するのだろう。

これだと桑の束を抱えて室内を歩くとき、柱にぶつからないようによけないといけないので大変そう。

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よく見ると3列ある飼育台の奥側(写真右)が2階建てになっていて除沙網などの備品が置いてある。

まさかこの2階部分で飼育したってことはないよね? インドの養蚕なんかで背よりも高い場所に蚕座がある2階、3階建ての飼育台あるけど、日本でここまで高い蚕座ってないような気がする。質問できればよかったのだけど、このときは気付かなかった・・・。

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続いて、上蔟(じょうぞく)室を見せていただいた。

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上蔟室は蚕室よりも気密がちゃんとした木造建築だった。暖房で暖かい。3日後に出荷を控えたあけぼのの繭がまだ回転蔟に入って吊られていた。回転蔟(かいてんぞく)のタイプは十字型。

回転蔟には十字型のほかに自然上蔟に適したX型がある。はっきりと調べたわけではないけれど、X型は組み立てはしやすいが、ボール(まぶし)が早く痛むような気がする。十字型の性質はその逆。

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大和田家でも養蚕指導員の勧めで自然上蔟をしたことがあった。自然上蔟では蚕座の上に回転蔟を載せて蚕に自分で蔟に登らせる。蚕が蚕座から逃げないようにクレゾールをしみ込ませたものを蚕座の周囲に並べたという。回転蔟に蚕が取りついたら、蚕室から上蔟室に運んで吊る。

ただ大和田家の作業の導線にはそのやり方が合わなかったらしく、すぐやめてしまった。現在は条払した蚕を箱で運搬して、網掛けはせずに蔟に振り込むというやり方だ。

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今蚕期の上蔟は例年になくうまくそろって上がったという。気象条件が良かったのではとのことだった。

ただし飼育中には白殭蚕(はっきょうさん)(カビの一種に冒される病気)が多く出たという。

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上蔟室の奥のほうで、すごいものを見つけてしまった。

「ラタン蔟」と呼ばれる、籐と竹でできた蔟だ。シルク博物館にも展示されていた蚕具が現役で使われていた。

藁蔟を使っている農家は多いけれど、ラタン蔟を使ってる農家ってここ以外にあるんだろうか?

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この蔟は親の世代に作られたもので、いまは作り方はわからないという。

繭かきが終わると、火で毛羽をあぶって綺麗にしてずっと使い続けているのだそうだ。

こう言ったら失礼かもしれないけれど、ファンタジーとしか言いようがない。

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まだいくらか未使用のラタン蔟が蚕棚に挿してあった。

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この部屋はかつては4齢までの飼育に使われたんじゃないかと思う。

蚕棚に挿してある蚕箔(さんぱく)は、現在は繭の一時保管にしか使っていないが、本来は飼育用だからだ。

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蚕箔は竹ではなく木でできていた。

蚕箔は地方ごとに特徴があり、徳島県にもこれに似たような木製の蚕箔があるが、造りはちょっと違っている。

大和田家は私が見た養蚕農家の中では最も山深い場所で養蚕を続けている農家で、四国の山村での養蚕の様子を伝える貴重な存在だ。とてもすばらしいものを見せてもらった。見学させていただき、ありがとうございました。

(2011年10月09日訪問)