つづいて、きょうの観光の本命ともいえる臼杵石仏群へ。土産物センターなどもある大分県屈指の観光地だ。
先ほど訪れた満月寺の向かいにある。
満月寺は寺院だったが、臼杵石仏群は宗教法人ではなく、入場料を取られる史跡といった存在。
その起源は真名野長者が招いた僧、蓮城が奈良時代に造営したという伝説があるが、実際には平安時代中期ごろに彫られたと考えられている。文献もなく、発掘調査などがされていないためか、石仏群がどのような経緯で造られたかは謎に包まれているという。
磨崖仏は低い丘陵の里山の中に点々と彫られている。
そのうち59体(2017年に追加指定で61体)が国宝に指定されているという、九州全体というより日本を代表する石仏群といっていいだろう。
写真は臼杵石仏群の全景。
石仏群は4ヶ所に分散していて、それぞれに覆屋が掛けられている。それを❶~❹の順番に巡っていく。順路は案内板があるので、迷って見落とすというような心配はない。
石仏群には立派な覆屋が掛けられているがこれは1988~1991年ごろに整備されたものだ。それ以前は簡素な庇があるだけだったので風化や剥落が進み、古い観光ガイドなどを見ると落下した仏像の首が地面に置いてあるというような写真も見られる。そうした剥落したパーツは現在は仏像の身体に接着されて、最良の状態で見学できる。
入場料を払って最初にあるのが「ホキ石仏群」。ホキとは「崖」の意味だという。
公式ガイドによれば「ホキ石仏第二群」と呼ばれている。
立派な覆屋はあるが吹き放ちで、ガラスなどはなく、磨崖仏としては違和感なく見学できる。
堂内の右側から見ていくと、不動明王、観音菩薩、阿弥陀九品仏。
阿弥陀如来座像(中央)と、脇侍の勢至菩薩(左)、観音菩薩(右)。
横から見ると、崖面から浮き出すように彫り出されていることがわかる。崖から完全に浮いた丸彫り、崖からほぼ浮いている厚肉彫りといった、臼杵石仏を特徴づける手法だ。
個人的にも磨崖仏はどれだけ浮き出ているかが評価ポイントだと思っている。
残った崖面がノミ跡だらけになるのではなく、まるでもともと仏像の形をした岩があったように自然に感じさせる技術がすばらしい。仏像の全体の姿も平安時代といわれればそうかなと思うようなおだやかさと優美さをたたえていて、この地方に高度な仏教文化が花開いていたということを物語っている。
続いて、少し歩いて「堂ヶ迫石仏群」へ。
公式ガイドによれば「ホキ石仏第一群」と呼ばれている。
左から、愛染明王、薬師如来、阿弥陀如来、釈迦如来。
薬師、阿弥陀、釈迦の三尊形式は宮迫西石仏でも見られた構成だ。
左から、勢至菩薩(横向き)、阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来、観音菩薩(上半身剥落)。
台座に空いている穴は教典を納めていたと考えられている。
地蔵菩薩と十王群。
彩色されていて幻惑的だけど、彩色は復元かな・・・。
堂ヶ迫石仏群は以前はかなり小さな庇があっただけなので、日光や風雨にさらされていて風化や剥落が激しかった。現在は石材に樹脂を浸透させて風化を防いでいるという。
左から、観音菩薩?(摩滅)、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、観音菩薩。
ここの穴はちょっと稚拙。
横から見ると身体が半分くらい彫り出されていることがわかる。
壮観な眺め。
堂ヶ迫石仏群の横には石段があり、国重文の五輪塔への入口になっている。
帰路で見ようと思っていたら、ここへは戻ってこなかったので行かずじまい・・・。
続いて、「山王山石仏」へ。
他の石仏がすべて東向き斜面にあるのに対して、山王山石仏だけは西向きの斜面にあり、他の石仏と対面するレイアウトになっている。
そのためか、別名を「隠れ地蔵」ともいうらしい。
実際には地蔵ではなく、左から、阿弥陀、釈迦、薬師の三尊仏。
むっちりとした肉感あふれる名品だ。
続いて、尾根を回り込んで東斜面の「
別名「古園十三仏」ともいうらしい。
最初にあるのは仁王尊像。
古園石仏は覆屋が特に立派で、直射日光が当たらないようになっている。
左から、増長天、不動明王、勢至菩薩。
左から、文殊菩薩、宝生如来、
中尊の大日如来の顔面は仏像としての造形も素晴らしく、臼杵石仏群のキービジュアルとして観光ポスターなどでよく見かける。
ただ、この大日如来も修復以前はこんな状態だったのだ。
文化財指定の立派な建物や仏像を見て「国宝ってすばらしい~」「さっすが重文だな」って思うとき、その多くが「すばらしく見えるような形で作り直されている」ということを認識しないといけない。
逆にいえば、みすぼらしく見える建物や仏像でも実は歴史を秘めている可能性もあるわけで、その辺を見切る眼力がほしい。
この石仏群はほぼ崖から浮き出した丸彫り。
ここまで大分ではいくつもの石風呂やら石造橋やらに「石の文化だなあ」って感じて来たけれど、それは仏像も例外ではないのだ。
(2012年03月26日訪問)