臼杵市大字深田。この地にはかつて真名野長者という大分限者が屋敷を構えていたという。長者の娘は般若姫といい当代切っての美女として知られていた。その噂は都にまで届き、時の天皇に輿入れすることになった。姫は都へ上るため、船で瀬戸内海を進んでいたところ、周防灘で嵐に遭い難破してしまう。
水難は一説には、真名野長者が開拓のために埋め立てた沼の主だった龍の祟りだったともいう。姫は現在の山口県柳井市のあたりに漂着するも、その地で亡くなってしまった。長者は姫を弔うため、山口に般若寺という寺を、大分には蓮城寺という寺を建立し、屋敷のあった深田には磨崖仏を建てたといわれている。
これが臼杵石仏のいわれである。
臼杵石仏は国宝指定されている日本を代表する磨崖仏だ。周囲は静かな田園風景が広がっている。
臼杵石仏の本体に参拝する前に、向かいにある満月寺にお参りすることにした。
法事かなにかやってるみたいで、境内は車で一杯。本堂も離れたところから写真をとるだけにしておく。
本堂は入母屋妻入りというめずらしい造りで、しかも奥方向に長い。
本堂の右側には玄関と庫裏。
庫裏の左側には石像五重塔と公民館がある。
公民館の先には妙見堂がある。
妙見堂はまだ新しい建物で、築数年といった感じ。
本堂の裏手に鐘堂がある。
不思議な配置だ。
鐘堂のさらに先に巨大な宝篋印塔がある。
庫裏の右側に龕があり、石仏が置かれている。
石仏は全部で3体。
こちらは、乗蓮といわれる像。真名野長者が娘の供養のために中国から招いた僧。
こちらは、真名野長者夫婦。
この寺の石仏で見どころは、本堂前にある仁王像。
きょうは境内が駐車場になっているため、ちょっと写真が撮りづらい。
こちらは吽形像。
胸と右腕に穴があいている。右腕が欠損したのを補修しようとしたのか。
こちらは阿形像。
踊っているみたいなユニークな像だ。
造られた年代は鎌倉時代後期と考えられている。
臼杵石仏は平安末期~鎌倉初期と考えられているので、それよりは少し時代が下る。
(2012年03月26日訪問)