吉野川のシラスウナギ漁

吉野川河口を彩る春の風物詩。

(徳島県徳島市川内町鶴島)

私は徳島市郊外の眉山(びざん)の中腹の一軒家を借りて住んでいた。きょうはその家を退去して徳島をはなれる日である。

引越しは7度目になるが、これまで住んだ土地とくらべても徳島市は本当に良いところだった。四国には自然に寄り添ったゆとりのある時間が流れていて、それは住んでみなければわからないものだ。四国は広いから島に住んでいるという感じはないが、海で隔てられて都会の風が届きにくい場所なのだ。

昨日のうちに梱包を終えていた荷物はあっというまに10トン車に積み込まれ、ひと足先に関東へ旅立った。私はひとり家の中で不動産屋を待つ。家財道具がなくなった室内は見知らぬ家のようで、10年間の生活がまぼろしだったような気分に襲われる。不動産屋にキーを返却し夕食を食べたらもう夜になっていた。

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徳島市に別れを告げ、吉野川の鉄橋を渡ろうとしたとき川面にいさり火が見えた。

吉野川河口の春の風物詩、シラスウナギ漁だ。

いままでも会社帰りなどに時々見かけたが、一度も写真を撮ったことがなかった。

この最後の日に写真を撮ってから立ち去ろう。

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シラスウナギとはウナギの稚魚のことである。私たちが日常食べているウナギは養殖だが、ウナギは卵から育てることができず、自然界の稚魚を捕って肥育するのだ。

その漁はこのように夜に行われ、川面に映るいさり火はまるで星雲をちりばめたように美しい。

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ただ、シラスウナギ漁はかなりデリケートな問題をはらんでいる。ここではその闇については書かないので、検索でもしていただきたい。

実際、某国営放送の徳島支局に勤めていた知人は「美しい風物詩だけど、あれは取材できない」と理由を教えてくれたので、本やネット等に書かれていることはでたらめではないと思う。

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いろいろな噂話もあり、シラスウナギ漁師はわずかな期間の漁だけで残りの1年は遊んで暮らすとか、シラスウナギの卸値は重さあたりで純金と同じだとか・・・

調べたら、純金と同じということはないようだ。だが、高いときには純金の半分くらいにはなる。

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このように明かりで川底を照らし、遡上してくる透明の稚魚を一匹一匹見つけて小さな網ですくうという、根気のいる漁だ。

ウナギの卵からの養殖が可能になるというようなメディアの報道もある。それが言葉通りに実用化の道筋があるものなのか真偽はわからないが、遠い将来この光景も見られなくなるかもしれない。

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この美しい光をいつまでも眺めていられそうだったが、もうこの場所は私のホームタウンではなくなったのだ。4月1日には新天地での初仕事が待っている。

さらば四国。

(2012年03月30日訪問)