このころ私は養蚕農家を探して阿讃山脈の谷に順番に分け入っていた。
ここは脇町から吉野川の支流、祖父江川をさかのぼり、支流の東俣をずいぶん分け入った山の中。そこに小さな学校があった。
美馬市立江原東小学校だ。いまは夏休み中。
こんな山の中に学校が? 言ったら失礼だけど、このあたりには数えるほどしか人家がなく、小学校が必要なほどの児童がいるのだろうかと不思議に感じ、写真を撮っておくことにした。
でも調べててみるとこの学校の始まりは明治7年と恐ろしく古い。
実はいま私が見ている風景とはまったく異なる営みが、この山深い場所にあったというのだろうか。
もちろん、かつて山にはいまより多くの人が住んでいたし、開拓のために入植した時代もあり、そうした痕跡に気付くこともある。でも、この東俣川の流域にそこまでの人口が暮したという雰囲気はあまり感じられないのだ。
かわいらしい体育館がある。
でもこういう木造の小さな体育館って、悪い夢に出てくることがあるんだよね。
夢の中で私は田舎にIターンして新参者なんだけど、村の運動会で余興をやらされているような夢。網タイツを履いてピンクレディーの「UFO」を滑稽に踊っているとか、そういう悪い夢に出てくるのだ。
校舎の北側には保育園の建物がある。現在は金川の公民館として使われている。
公民館の横に小さな沈下橋があった。
対岸は森で、何の用途でこの橋が造られたのかはよくわからない。
江原東小学校はこの年で廃校になった。つまり、この時が最後の年度だったことになる。
(2009年08月08日訪問)