私は阿波葉について多くのことを元山さんに教えてもらった。その元山さんが阿波葉を作っている圃場は家から少し離れていて、守山家という元タバコ農家の前にある。
元山さんに連れられて畑を見に行ったとき、守山家に立ち寄って写真を撮らせてもらった。
このときはまだ葉タバコのことをほとんど知らない状態だったのだが、話の中に出てくる阿波葉の乾燥室「
まず、守山家のハウス式の乾燥室の中を見せてもらう。何を見たらいいかもよくわからなく、元山さんが促すままにS環の写真などを撮る・・・。
守山家の主屋の一室。仏壇があるのでナカノマと言われる家族の居間だろう。広さは10畳。
農家が阿波葉の乾燥室を独立して建てるようになったのは明治の後期くらいではないかと考えているが、それ以前は主屋の中が蒸屋の機能に使われていたという。これがその物証だ。
天井を調べてみなければなんとも言えないが、古い時代には天井はなく屋根裏へ吹き抜けで、屋根裏スペースにもタバコを吊ったかもしれない。蒸屋やベーハ小屋が平屋ではなく、内部が2階吹き抜けなのは、主屋の屋根裏で干していた時代の名残なのではないか。
続いて主屋の奥のほうにある蒸屋を見せてもらう。
もう使われなくなって長いし、そのあと倉庫になって、いまでは倉庫としても使われておらず荒れていた。
阿波葉の蒸屋については専売局による標準設計があったという話はこれまで聞いたことがない。蒸屋は阿波葉農家が独自に考案したものか、あるいは、明治末に専売局で研究されていた乾燥室を見様見まねで建てたものではないかと思う。
現時点で古い蒸屋の特徴と考えている床下の吸気口。
在来種の古い蒸屋の構造は室内で直接火を燃やす囲炉裏方式だ。それも木炭などではなく薪なので葉タバコ自体に煙が掛かって薫蒸され匂いがついてしまう。そのため直火による薫蒸は昭和初期には行われなくなった。
後の標準化されたハウス型乾燥室ではバーナー型乾燥機を使ったり、ストーブを使ったりして乾燥室内に煙が入らない乾燥方法に変わっている。
建物の構造は置き屋根の土蔵で、建築物というより屋根を載せた大型乾燥機といった感じ。
建物の妻側の2階相当の高さに腰窓があり、ほかに
内部の様子。
中間に梁があるので、高い位置に吊るときの足場を設置していたのだろう。
中が荒れていたので写真を撮るのを遠慮してしまったが、いま思えばもっと丁寧に撮っておくべきだった。
(2008年06月22日訪問)