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阿波國すきま漫遊記(第5話)

2007年から農作物としてのタバコに着目して農家を訪ねた記録。徳島県では黄色種と在来種が生産されていたが、在来種は2009年で生産が中止された。

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徳島県の吉野川の北岸を訪ねると、タバコの乾燥室をそこかしこで目にする。この乾燥室を「ベーハ小屋」と呼ぶことが広まったのは、香川県の建築好きのメンバーが2008年に設立したベーハ小屋研究会の活動によるところが大きい。「ベーハ小屋」という言葉の起源は、香川県観音寺市で行われたインタビューに確認できるという

ベーハ小屋研究会が設立されたのと同じころ、私は徳島県内の葉タバコに興味を持って、農家を訪ねるようになっていた。そのとき徳島県では3種類の葉タバコが生産されていた。第1黄色種、第2黄色種、第3在来種の3種類である。このうち黄色種は「米葉(べいは)」と呼ばれ、「ベーハ小屋」の名前の元になった品種だ。品種がアメリカから持ち込まれたことに由来する。

私が徳島県で訪れたタバコ農家は極々一部でしかないが、そこでは「ベーハ小屋」という言葉を聞いたことがない。「乾燥室」というのが一般的な呼称で、「乾燥小屋」という言い方もあったかもしれない。また在来種は黄色種とは乾燥プロセスが異なるが、在来種の農家では乾燥小屋のことを「蒸屋(むっしゃ)」と呼んでいた。ただこれから書く徳島県内のタバコ乾燥室についてはあえて「ベーハ小屋」という呼称を使うつもりだ。この言葉はいまでは路上観察の界隈に普及しているし、乾燥小屋のかわいらしい姿にふさわしい名前に感じるからだ。

徳島で生産されていた第3在来種は、別名を「阿波葉(あわは)」という。徳島の地名を冠したその葉タバコは、県西の急傾斜地で風土と一体となって生産された。阿波葉は黄色種とは異なり、非常に手間と時間のかかる乾燥プロセスを必要とするが、ソラの集落とも言われる山奥に現金収入をもたらし、人々が山で暮らし続けることを可能にした。

阿波葉が徳島に移入されたのは江戸時代初期で、その後400年のあいだ徳島の気候に順応して品種として固定されたものだ。火付きがよくキセル用の刻みタバコの品種とされたが2000年代には生産量はごくわずかしかなく、時代劇の撮影で使われるくらいだと言われていた。実際にはJTでは味を調整するために他の品種とブレンドして紙巻きタバコに使われたようだ。私が訪ねたころには生産農家は十数戸しか残っていなかったと思う。2009年を最後に生産が中止され、現在はその姿を見ることはできない。この章では黄色種だけでなく、在来種の最後の生産現場の様子に重点をおいてお届けしたいと思う。

なお、徳島以外で葉タバコについて書いているページはこちらを参照のこと。

➡ タバコ農家の索引
➡ ベーハ小屋の索引

続きは執筆中...