阿波葉農家の岡部家のさらに上にある岡野家。乾燥室があったので訪ねてみた。
捨子谷北で一番標高の高いところにあるお宅だ。捨子谷北の低いところと高いところでは標高150mの違いがある。下の方の家とは単純計算で平均気温が1度低いことになる。
岡野家から見おろす笠仏峠の山並み。
山の斜面にはたくさんの集落が見えるが、岡野家のほうが標高があるのですべての家が視界の下になっている。毎日ここで暮らしていたらどんな気持ちになるのだろう・・・。
いまはもうタバコを作っておらず、シシトウを作っていた。おばあちゃんが畑で仕事をしていたので少しだけ話を聞いた。
岡野家の施設は向かって右側から、阿波葉乾燥室、主屋、納屋、黄色種乾燥室。
元々は阿波葉を生産していて、途中から黄色種に転換した。黄色種をやめたのは4~5年前とのこと。
納屋には牛を飼っていた部屋の跡があるが、昔は牛を飼って堆肥や畑の耕耘に利用していたという。ご主人は牛の手綱を取るのが上手だったという。この辺りでは隣りの字の白村の一番高いところにある家がまだ牛を飼っているそうだ。
これが岡野家の阿波葉乾燥室。
外観はベーハ小屋に似ているが、屋根の気抜きが小型なので、専売局の指導で作られたベーハ小屋とは違っている。
煉瓦の炉と煙突が外側に設置されているというのがこれまで阿波葉の乾燥室では見たことがない特徴だ。
おばあちゃんの話だと阿波葉には乾燥室や火力の乾燥は必要ないということだったので話の内容と少し矛盾している。
こちらが黄色種の乾燥室。これも専売局が広めた標準仕様とは違っている。
越屋根を載せたベーハ小屋の形式が普及したのは昭和初期なので、それより古いとすれば、このお宅が阿波葉から黄色種に転作したのはごく早い時期だったということになる。
黄色種の乾燥には灯油の乾燥機を使い、内部には鉄管のダクトが廻っていたという。
・・・なんとなく建物の説明が合っていない気もするが・・・聞いたとおりの記録として書き残しておく。
黄色種をやめたのが4~5年前だったとすれば、タバコ作りの最後の30~40年は共同乾燥所でのバルク乾燥だったろうから阿波葉の生産や黄色種の家での乾燥は遠いおぼろげな記憶だろうし、いろいろと端折って話してくれたのかも知れない。
(2008年07月26日訪問)