徳島県の県南の町、日和佐町から牟岐町までは国道55号線を走れば15分程度の快適な道だ。だがもうひとつのルートとして、県道147号線で海岸線に沿って走る道がある。
その行程は海に落ち込む崖と入り組んだリアス式海岸のカーブの連続だ。途中、集落も人家もないからいまあえて通ろうという人も少ないだろうと思う。
だがこの道路は観光のために県によって開発された「南阿波サンライン」という有料道路だったという。県南の有料道路というと以前に津峯スカイラインを紹介しているが、昭和の観光って現代人の感覚とはかなり違っていたということが実感できる。この道路が開通した1970年は大阪万博が開催された年。人々は豊かになるのを日々実感し、永遠の発展を疑わなかった時代である。庶民もマイカーを持ち、こんな何でもない山の中を走ることが国民の羨望のレジャーだったのだ。
サンラインは断崖の上を通っているが、途中2ヶ所、道路で浜まで降りられる場所がある。
そのひとつが
9月中旬の休日、どんな浜なのか行ってみることにした。
道路がよいので波打ち際すぐまで車で近づける。
海水浴場ではないから、店もなければシャワーなどもないし、そもそも浜は石が多い。
それを気にしなければここもプライベートビーチのように使えそう。
ただちょっと波が荒い気がした。きょうの天候がたまたまなのか、いつもこんな感じなのかはわからない。
海水浴ではなく釣り人がくる場所なのかもしれない。
周囲の山々はウバメガシの森。
小さいながら海食洞があった。
海食洞の中から見た海。
浜には大きな建物の廃虚がある。
千羽ロープウェイの山麓駅で、サンライン開通時の観光の目玉だった。駅だけでなく土産物屋やレストランも兼ねていた。
営業した期間はわずか7年間。
サンラインが開業し、大阪万博を開催した1970年は日本の絶頂期だったといっていい。そのあとすぐ起きたオイルショックや公害問題の深刻化で日本人のレジャーも消費マインドも変質してしまった。
今になればこの豪華な箱モノも見通しのない観光事業だったとしか見えない。
でも伸びている国の勢いというのはそんなものだ。
石橋を叩いているうちに30年が過ぎてしまう平成時代とは経済感覚が全然違っていたのだ。7年という期間は当時ひとつの観光地が栄え衰亡するのに十分なタイムスパンだったのかも知れない。
ロープウエイの山頂駅は海に迫り出した小さな岬の頂上にある。
そこには展望台がまだ残されていた。
ただ、そもそもサンライン自体が標高の高い場所を通っているから、わざわざ崖を下りて浜からロープウエイに乗って山頂に行ってみても、景色はあまり変わらなかったのではないか。
(2007年09月15日訪問)